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[253]パーディと猫 [ウサビッチ]

今日6月16日はパーディの誕生日なので、パーディのことをお話ししましょう。

 仔ウサロイド・パーディは、いろいろな生き物に興味を持った。ロウドフ氏の指導の下、ヒヨコの世話やニワトリの羽むしりを覚えた。庭では蟻の行列を眺めたり、コオロギや小さなカエルを捕まえて大きなカエルに食べさせたりしていた。ヘビやトカゲを見つけるとよく捕まえていた。夏には、仔ヤギと仲良くなった。
 監獄の警備犬のことも好きだった。精悍な大型犬たちの訓練の様子を、よく見ていた。訓練が終わって遊ぶ時間になると、訓練士はパーディを呼んで、いっしょに遊ばせてくれた。犬たちは強くて賢く、パーディが仔ウサギであることをちゃんと理解していた。「お仕事中」の犬たちが凛々しく勇敢であることを、パーディが知って尊敬さえしていることを、犬たちも知っていて、互いに好感を持っていた。
 
 猫との関係は、まったく異なっていた。厨房と食糧庫の周囲を守護している猫たちは、もちろん監獄の不可欠のメンバーだったが、パーディには理解できなかった。猫がネズミを捕るのは主に夜間だったから、パーディが猫の「お仕事」を見る機会はまずなかった。パーディが見る猫たちは、のんびり毛づくろいをしているか、遊びでスズメやカラスを脅しているか――本気でないし届くはずもないので、鳥たちも安全な距離からバカにした態度を取っていた――、尻尾を立ててちょっと歩いては、あくびをしてごろんと横になるか、あるいは――これが一番多かったが――ぐっすり寝ていた。猫も働いているのだと、仔ウサギに言ってもわかるはずもなかった。猫のほうではパーディをわりと危険な相手だと(正しく)認識していて、彼女が近づくと敵意を持った目を向け、寝ていた者まで薄目を開けて牽制し、本気で触ろうとしていることがわかると、めんどくさそうなわりには非常に敏捷に、逃げていった。
 パーディは、猫を「とっ捕まえる」ことを諦めたわけではなかったが、それはかなり困難だとわかっていた。猫に出くわすと、とにかくわけもなく敵意が湧いて、毛を逆立てて睨みつけた。猫も「その気」だと、睨み合いになり、唸って威嚇し合った。本当にケンカになったこともある。二度と仔ウサギを寄せつけたくない猫も本気だったので、普通の仔ウサギなら大けがを負わされるような攻撃だった。パーディは少々引っかかれただけで済んだが(自分で修復できる程度の傷は負った)。
 そんな騒ぎになれば、大人に見つからないはずもなく、猫を引っ掻き返そうとしたパーディの首根っこを、熊のような大きな手が掴み、熊みたいな大男は興奮状態の猫をもう片方の手で威嚇して追い払った。
 「猫に手を出すな、仔ウサギ!!」
 「に゛ゃー!!」
パーディを捕まえたのは、料理兎だった。料理兎たちは、「おかしら」である料理長を始め、非常に兎相が悪く、見た目は山賊一味のようだった。(囚人には「カンシュより怖い」と言われていた。)パーディは料理の手伝いもよくしていて、彼らとの関係は悪くなかったのだが、猫とケンカした時だけは、容赦なく犯罪者扱いだった。
 言うまでもなく、食料をネズミから護っている猫を、料理兎は大事にしていた。猫には安全な住みかと、時々料理兎の手からもらう魚の内臓や残り物の肉が与えられた。それ以外の食物に手を出したら永久追放という厳格な掟の下に、彼らは共存共栄していた。今まで、この環境で猫の「天敵」はいなかった。初めての天敵から猫を護ることに、料理兎たちが非常に張り切って取り組んだことは、想像に難くない。
 
 取っ組み合うには至らないほどの小競り合いを2、3度繰り返し、その都度厳重注意を受けたパーディが、再々々度過ちを犯した時、ついに料理兎の堪忍袋の緒が切れて、パーディはその袋に押し込まれ、首だけ出して新しい緒(袋の口を縛る紐)で吊るされたのだった。
 堪忍袋は象徴界のものだが、パーディは物理で野菜の麻袋に押し込まれ、食堂のドアの上に吊るされたのだ。
 「にゃあ!にゃああーーー!!!!」
怒って鳴いている仔ウサギの下を、職員たちが通って行った。事務職員たちは、普段パーディにあまり優しくされていないと感じていたが(婉曲表現)、この事態を面白がる気持ちにはなれず、気味悪くてむしろ怖くてちょっと震えていた。労働監督たちは、「やれやれ」と言うように肩をすくめ、薄笑いを浮かべていた。監視塔のスナイパーたち(文字通りパーディの天敵というかパーディが彼らの天敵)は、「ざまあ見ろ、悪ガキ!」と大笑いして、カンシュコフにどつかれたり蹴られたりしていたが、そのカンシュコフたちも、笑いをこらえることはできなかった。
「パーディたん、厨房のお兄さんの言うこと聞かなきゃ、いけませんね~」
「み゛ゃーーー!!!!!」
笑笑笑

 誰もパーディを助けなかったのには、わけがあった。公私ともに荒っぽい暮らしをしているカンシュコフたちには、これが体罰であるという認識がなかった。彼らは料理兎の取った処置を見て、パーディにはこのぐらいの教育的指導が適当であると思い、何も話し合うでもなく自然にできたシナリオに従って行動していた。
 そのシナリオどおりに多くの者がそれぞれの反応を見せたところで、満を持して(?)現れたのは、「パーディのパパ」G君である。
 G君はパーディを見上げ、芝居がかった調子で言った。
「嗚呼、これが我が娘とは嘆かわしや!」
「にゃっ!!」
「パーディ、お前、何をしたんだ?」
すでに知っているが、本人に言わせようとして尋問する。
「にゃ…、猫とケンカした」
「前にもして、いけないと言われたよな?」
「うん…」
「でもまたやって、もう絶対しませんと言ったよな?」
「…」
「厨房のおっちゃんは、お前が二度と猫とケンカしないと誓約書を書くまで、厨房に接近禁止令を出すと言ってるぞ?」
「にゃー!?」
「どうだ、誓約するか?」
「みゃ…もう猫とケンカしません…」
「約束だぞ」
「…はい」
周りで見守っていた者たちがぱらぱらと拍手する中、G君はマジックハンドでパーディを下ろして、袋から出してやった。
「にゃーにゃーにゃーにゃー!!」
「何文句言ってんだ。自分のせいだろ」
「にゃー…」
「…」
G君は、パーディを抱き上げて食堂に歩み入った。
「ところで、ジャッキーまだ来ないな?」
「にゃあ」

 ジャッキーは、ショケイスキーの研究室に迷い込んだコウモリを、天井まである本棚の上のほうで捕獲していた。べつに足止めするようにと教授が頼まれていたわけではなく、偶然だった。もしジャッキーがパーディの受けた仕打ちを見ても、妥当な教育的指導だと思うだけだっただろう。自分も(いちおうおとなのくせに)ジャガイモ袋に押し込まれたり、簀巻きにされたりトイレに流されたりしている兎生だから…。


2019-06-16 18:13  コメント(0) 

[252]忘却の彼方より(後) [ウサビッチ]

休憩室に戻ると、ハリーが戸口にすっ飛んで来て出迎え、フロイドが制止する間もなく、ジャックをハグした。
「ベイビー、俺のことも思い出せねえのか?」
「!?…」
巨大なお調子者のオオカミみたいな男に顔を近づけられて、声も出ない。
「いいんだ、いいんだ、俺が思い出させてやるぜ!」
抱きしめて、頬ずりずりずり…
「…み、み゛ゃーーーっ!!!!」
ジャックの叫び声とともに、ハリーは宙を飛んで、壁にめり込んだ。
外野(事情は知っている)は、「成敗!」「決まった!」と、良い場面に居合わせたことを喜んでいた。
ハリーは、たびたびやられているし、カートゥーンだから、体に10枚ぐらい絆創膏を貼った姿で、わりと平気そうに戻って来た。我に返ったジャックが、
「す、すいません!!」
と言ってハリーのほうへ駆け寄ろうとすると、フロイドがひょいと捕まえて、
「謝ることないよ、悪いのはハリーだ」
と、自分のしたことにショックを受けているジャックを、撫でて宥め、ついでのように、
「ジェフ、俺の分も殴っといて!」と言った。
「おう!」
ちょうどハリーを1発殴ったところのジェフは、フロイドの代わりにもう1発殴った。
殴られるのも慣れっこのハリーは、ぶるぶるっと頭を振ると、
「油断したぜ!いつものジャッキーじゃん。記憶戻ったんじゃね?」
残念ながら、そうではなかった。ジャックは、知らない男にいきなりハグハグすりすりされて、この職場にはあとどれくらい、そういうことをする男がいるのだろうと思うと、怖くなってしまった。
「なんだ、戻ったんじゃねえのか」と、ハリーは言った。「でも、俺に預ければ、すぐ思い出させてやるぜ!」
「ダメだ!お前は10回休み、離れてろ!」
と言って、フロイドはジャックをしっかり抱き寄せた。
「あーはいはい」
ハリーは、さすがにもう殴られたり投げられたりしたくないので、おとなしく2、3歩離れた。
「しかし、こういう時は、G君が抱いてやるんじゃねーの?」
ジェフの耳が、ピーンと反応し、首と背中の毛が逆立った。ジャックに初めて警戒され、彼はけっこう傷ついていたのだ。探るように見て、ハリーは、
「お前、嫌われてんのか!」
と言って、大口開いて笑う用意をした。
「お前だって、嫌われてるだろ」
ジェフは、かなり不機嫌そうに言った。ハリーは薄笑いを浮かべ、
「俺は他人だから。お前は、家族だのパートナーだのと言って、いちゃいちゃべたべたしてたくせに、完全に忘れられてんのか。傍にいても、思い出しもされねえのか。傑作だなwwww」
「むぅー…」
「お前ら、ケンカしてる場合じゃないからな!」
と、フロイドが牽制した。
「わかってる」
ジェフはふてくされてハリーから目を逸らし、フロイドに、
「パーディを連れて来てくれ」と言った。
フロイドは、ジャックの頭をちょっと撫でて、出て行った。

ハリーは、煙草を吸いながら、ジャックをじろじろ見ていた。また触ると、暴力的な反応をされそうだが、今度は心構えがあるから、先制して押さえ込めばいい。さて、どこから掴むか…。
その時、ジェフが、いきなりジャックを抱き上げて、壁際のカウチへ運んだ。いつも先輩たちに、小動物のように持ち運ばれていることを、覚えているのか、あるいは本能なのか、ジャックは抵抗せず、手足を軽く折り曲げて抱かれていた。
「なんだ、暴れねえのか」
と思いながら、ハリーはふーっと煙を吐き出した。
ジェフは、カウチに座り、ジャックの背中や腕を撫で、耳を毛づくろいしてやった。ジャックは、動物園の「ふれあい広場」で客に抱かれるモルモットのように、とりあえず安全と認識してじっとうずくまっていた。
「記憶に一番深く結び付いている感覚は、嗅覚だよな」
と、ジェフは半ば独り言のように言った。
「ハリーの煙草くささでは、何も思い出さなかったようだけど」
「んあ?」
ハリーには聞こえていたようで、ちょっと嫌なことを言われたという顔をした。
「厨房に行って、ローストチキンやドーナツやプリンの匂いをかいだら、何か思い出すかな…」
ジャックの鼻がぴくりと動いた。食べ物の名前を聞くと、その形や味を思い出すことができた。ローストチキンにするオカマニワトリを、この監獄で飼育していることは、思い出さなかった。今、彼の嗅覚を満たしているのは、ジェフの匂いだった。撫でられて、体はだんだんリラックスしてきていた。
「♪しろやぎさんから、おてがみついた…」
と、ジェフが歌うと、ジャックは一緒に歌いだした。
♪…さっきのてがみの、ごようじなあに
ジャックは楽しそうに笑って、
「ねえ、2番知ってる?」
ジェフが大げさに眉を上げて首を傾げ、「何だろう?」という顔をすると、ジャックは歌った。

♪しろやぎさんに、おてがみかいた
 くろやぎさんたら、ださずにたべた
 しかたがないから、じてんしゃにのって
 しろやぎさんの、おうちへいった!

ジャックは、とても面白いコントでも見たかのように、キャッキャッと笑った。ジェフは、タンポポ色の耳を撫でながら言った。
「元歌は有名だから、一般的知識だが、今の2番は違うぞ。パーディが作ったんだから」
「にゃ?」
「お前、思い出したんだよ」
「にゃあ…」
ジャックはあたりを見回した。何も「見覚え」があるという感じはしなかった。
「少しずつ、思い出すだろう。大丈夫、大丈夫だ…」
ジェフは、嬉しそうにジャックを抱きしめた。ジャックは心地よく目を閉じて、なぜだかわからないが「大丈夫」と思っていた。

「やぎさんの歌、歌ってたー?!」
仔ヤギのように跳びはねながら、ジャックによく似た子ウサギが駆け込んできた。
「パーディ…?」
「パーディだよ!」
「みゃっ!」
「みゃっ!」
二人は鼻と鼻をくっつけ、耳と耳を触れ合わせた。
「ママ、データ消えちゃったの?」
「そうみたい…」
「パーディ、お前の記憶をコピーして、ジャッキーにインプットしたらいいんじゃないか?」
ジェフが真顔で言うと、聞き耳を立てている外野がざわっとした。「こんな時に冗談を(呆)」と思った者と、「G君、ジャッキーのことになると理性なくすんだなあ(涙)」と思った者が半々だった。
パーディも真顔で、「フォーマットが違うから不可能」と言った。
「そうか。うん、言ってみただけ…」
ジェフの冷静な様子からは、本気だったのか冗談だったのか、ついにわからなかった。
「にゃー」
「にゃー」
「みゃっみゃっ」
「みゅっみゅっ」
「おー、双子語で話してる」
「ジャッキーにとって、双子語は一般的知識なのか、経験なのか、興味深いな」
「パーディを観察してる研究所の人も、喜ぶんじゃないか?」
「みゃーみゃー」
「みゃーみゃー」
「あ、腹減ったって言ってる」
「お昼食べに行こう♪」
「(外野に)君たち、囚人の昼食の時間だぞ」
外野は解散。
「ハリー、お前は?」
「あー、俺は特別房に行くわ」
「よろしくー」
というわけで、昼休みです。

◇余談◇
ジャッキー記憶喪失の巻。
G「バートはエリザベートに贈るために、花屋で白いユリを6本、赤いバラを3本、ピンクのバラを3本、赤いチューリップを5本、黄水仙を10本、薄紫のトルコギキョウを6本買った。ここで問題。赤い花は何本?第3ヒントまで与えよう」
J「エリザベートってだれ?」
F「ジャッキー、それは…」
G「いい質問だ。綺麗な女性だ。お前の知ってる人でも知らない人でもかまわない」
J「にゃあ…」
F「ねえ、問題が難しすぎるんじゃ…」
G「興味深い。そしてバートが誰だかは、気にならないんだな?」
J「にゃ?」
G「エリザベートという名前に反応した理由は、ジャッキーの母親の名前だからだ。イライザと呼ばれているが、本名はエリザベートまたはエリザベスだ」
F「へえ」
J「俺の母親?生きてるの…?」
G「ああ、元気だ」
J「よかったー」
G「お父さんも元気だ。孫が少なくとも5人いる」
F「正確に知らないのか」
G「だって9人兄弟だぞ。行くたびに赤んぼが増えてる気がするww」
F「かわいそうに、ジャッキー、これから8人の兄弟を覚えなきゃいけないのか…」
G「記憶喪失になっても、物覚えが悪いことは忘れないんだな」
J「にゃあ?!」
F「ジャッキー、問題覚えてるか?」
J「もんだい?何の?」
G「うーん、いつものジャッキーだな。もうこのままでいいような気がする」
F「ダメだろう~^^;」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

午後の様子も書こうかと思ったのですが、めんどうになったので終わり。お茶を飲みながら、こちらのお二方にまとめて(?)もらいましょう。


H「(´Д`)y-~~~は~…。諸行無常、本末転倒だな…」
G「何ジャッキーの真似してんだよ」
H「真似じゃねえよ、俺は漢字で言ってる」
G「威張ることか。ところで…」
H「ん?」
G「なんか悩みでもあるのか?」
H「は?」
G「妙に静かだから。なんか壊して隠してるのか?」
H「バカか…つか、お前はなんでそう元気っつーか、ハッピーっつーか、まあ、ノーテンキなのはいつものことだけど、今の状況でおかしくねえか?」
G「ああ?」
H「あのなー、俺はジャッキーが全然思い出してくれなくて、がっっくりきてんだ、わかるか?」
G「うん」
H「あいつは、初めて俺に会った時、カッコイイ!!って思って、要するに一目惚れしたっていうだろ、一目惚れだぜ?そんなら、記憶喪失で、リセットして白紙状態になって、また会ったら、また一目惚れするだろうって、期待するだろ?」
G「する…か?」
H「するんだよ、べらぼうめ!それなのに、あいつ、俺のこと、ノミだらけの野良犬でも見るような目で見やがって、触ったら殺すぞっていうような…」
G「あんな初対面をしたら、当然だろ」
H「てやんでぇ…、俺だって、失敗したと思ってんだ、ちきしょーめ。一度失敗したから何だってんだ。またやってみるだけのことだ。あいつが俺の愛に気がつくまで…」
G「気持ちはわかるけど、言ってることおかしい…まあ、いつものことだけど」
H「そうだ、俺のことは心配するな、俺は諦めねえ、俺は…」
G「誰が心配www」
H「ほら、お前のそういうところが!」
G「え?」
H「なんで笑ってられるんだ!お前も、ジャッキーの運命の人じゃなかったのに!?」
G「運命?」
H「運命の人だったら、記憶がなくなっても、会えばまた恋に落ちるはずだろうが!」
G「そうか…?」
H「あー、これだ、ロマンのねえヤツは!」
G「お前が言うとロマンの意味がわかんないけど、俺はべつに、そんなものなくていいし。ジャッキー可愛いし」
H「マテリアルウサギめ」
G「ジャッキー幸せそうだし、俺にも懐いたし、いいんじゃね?」
H「そうかよ…(´Д`)y-~~~」

エピローグ。その夜。
≡ ≡(*゚∀゚)(*゚∀゚)<ぼんそわー!!
G「愛しい子ウサギズ、何して遊んでたんだ?」
P「あのねー、ママが卵をジャグリングして、1個ずつふやしていって、」
J「12個になったとき、卵がぜんぶ割れて、ヒヨコが生まれたの!」
P「ヒヨコでジャグリングをつづけたら、カエルがしゅるしゅるってヒヨコを食べちゃったの!」
J「1羽だけオカマじゃなかったから、救出したんだよ!」
P「ロウドフ先生に返さなくちゃ」
G「そうかそうかwwジャッキー、ここの生活に慣れたか?」
J「うん!」
G「それじゃ、子どもは寝る時間だから、ハリー先輩に挨拶して、部屋に帰ろう」
J「はーい。おやすみなさい!」
P「おやすみなさい!」
H「おやすみ…」

心を秋風が吹き抜けて行くような気持ちでいるハリーですが、すぐ元気になるでしょう。
では、またお会いしましょう。ごきげんよう~。


2017-09-04 14:15  コメント(0) 

[251]忘却の彼方より(前) [ウサビッチ]

皆さん、こんにちは。1年以上ぶりですが、3日ぶりのように始めます。


カンシュコフ・ジャック(22歳♂)は、ポケットに手を入れた状態で立ち止まった。彼の前には、ショッピングモールの広大な駐車場が横たわっていた。
ジャックは、手に触れた物をポケットから出して見た。
「これは…車のキー。俺は車で…どこ行くんだっけ?つか、車どこ?え?あれ??」
彼が呆然としていると、店から出てきた中年男性が声をかけた。
「おい、兄ちゃん、どうかしたのか?」
ジャックははっとして、男性のほうを見た。
「えと、俺、どこから来て、どこ行くんだろう?で、ここはどこ…??」
「はあ?」
男性が怪訝な顔をすると、彼の連れが笑って言った。
「こんな所で哲学者に会うとは思わなかったなあ、おい」
「哲学者か。ははは、ほんとだな」
「坊主、車どこに置いたかわかんなくなったんだろ」
そう言われて、ジャックはたしかにわからなかったので、真剣な顔をして頷いた。
「どれ、一緒に探してやるよ」
と、男性の一人が言うと、もう一人も、
「そうだな、車種は何だ?色は?」
と、親切そうに言う。
「車種?えーと…」
ジャックは頭の中が真っ白だった。
その時、
「ジャッキー、どうかしたのか?」
と、後ろから呼びかける者があった。ジャックも、二人の男性も、声の方を見た。長い髪を束ねた、長身のがっしりした若者が、近づいて来た。
「あんた、この兄ちゃんの知り合いかい?」
と訊かれて、
「ええ、同僚です」と、若者は答えた。「こいつが何か…?」
「車どこに置いたか、忘れたようだ」
と、男性は笑顔で言った。
若者は、1秒ほど腑に落ちないという顔をしたが、すぐに、
「そうですか。すいません、お世話をかけて」
と、愛想良く言った。
「いや、何もしてないよ」
「新人君、テンパってるみたいだから、あんまり怒らないでやりなよ」
と言って、二人は自分たちの車の方へ歩いて行った。

「ジャッキー、ほんとにどうしたんだ?」
フロイドは、キーを持ったまままだぼんやりしているジャックに言った。
「ジャッキー…?俺、ジャッキー…?」
「おい、寝ぼけてるのか?お前、ついに歩きながら寝るようになったのか?しょうがないな、運転俺がするから、ほら、帰ろう」
ジャックは足を一歩踏み出したが、またその足を止めた。彼の目に、困惑と恐怖が浮かんでいた。
「俺のこと、知ってるんですか?!」
今度は、フロイドが驚愕と恐怖の表情を見せた。
「ジャッキー!何言ってるんだ?!」
「俺、俺…、さっきここに立ってた時より前のこと、わからないんです…」
「え…」

ジャックの寝ぼけや物忘れはいつものことだったが、これはいつもとは違うと、フロイドは判断した。彼はジャックの肩に手を置き、目を合わせて言った。
「とにかく、帰ろう。俺のことも、わからないんだろ?俺は、フロイド。お前の職場の先輩だ。今日は日曜だけど、珍しくドクターがいるから、診てもらおうな」
(日曜日だから珍しいのではなく、監獄の医務室にいること自体が、一月に一週間ぐらいしかないのだ。そのことは、今回の話において重要な事項ではないので、詳しい説明は省略する。)
そして、一緒に歩きだしながら、
「頭打ったりしてないよな?どこか痛かったり、痺れたりしてないか?うん、少しでも具合悪かったら言うんだぞ?大丈夫、きっと大丈夫だから…」
そして、ありったけの気休めの言葉を言いながら、車に乗り込み、発進した。
ジャックは、調べたいことがあって開く本もノートもみんな白紙で、途方にくれた生徒のように、時おりビクンと耳を震わせながら、見知らぬ景色が流れて行くのを見ていた。自分が、知りたいことがある時に本を開くようなウサギではないということも、彼は忘れていた。

予想されたことだったが、ジャックが記憶喪失だとフロイドが言うと、ジェフとハリーは最初は信じなかった。
「ジャッキーに記憶力なんかもとからねえだろ」
と言って、ハリーは笑った。ジェフは、ハリーの言い方は気に入らないが、否定はできないというように、渋い顔で頷いた。
「ふざけてる場合じゃない!」とフロイドは言った。「本当なんだ!」
ハリーは、まだ胡散臭そうな顔をしていたが、ジェフは、フロイドが重大な勘違いをしている可能性はあっても、真剣であることは理解していた。
「今どこにいるんだ?」
「医務室。どこの病院へ行けばいいか、ドクターに判断してもらう。明日朝一で連れて行く…つか、お前が連れてくよな?」
「ああ…」
ジェフは曖昧に答えて、フロイドと二人で医務室に行った。

医師は、ジャックの胸、そして背中に聴診器を当ててから、口を開けさせて喉を覗いた。
「ふむ…」
そして、お腹が痛くて学校を休んだけれど、病院に来るまでに治ってしまってケロッとしている子どもを見るような目でジャックを見て、
「異常なしだな。ここではこれ以上のことはわからん。血液検査をしてもいいが、費用がかかるから、お前たちのチーフに言ってからにしないと」
「はあ…」
ジャックは心細かったが、すでにこの状況に適応してきていた。医師はカルテに無造作に何か書き込んで、
「休憩しよう。お茶は、そこで自分で入れろ」と言った。
「あ、はい」
ジャックは、カップにティーバッグを入れて、サモワールのお湯を注いだ。医師はその様子をじっと見ていた。日常の行動は忘れていないということを、確認しているようだった。
「砂糖も好きなだけ入れていいぞ」
「はい」
看護師が簡易テーブルを出してくれたので、ジャックはそれの前に椅子を置いて座った。看護師はクッキーも出してくれた。
「いただきます」
と言って、ジャックはクッキーを食べた。少しお腹が空いていたことに気づいた。
カップを持ってお茶を飲むと、医師が、
「砂糖を3個入れたな」と言った。
「は、はい…」
「いつも3個だ。思い出したのか?」
「いえ…、思い出しては…」
「そうか」
医師は頷いて、さらに質問した。
「朝食は、何を食べた?」
「わかりません」
「うむ。昼食は?」
「…わかりません」
「うん、まだ午前中だ」
「…」
「今日は非番なんだな?」
「えと、…そうなんですか?」
「私服でいるってことは、そうなんだろう。フロイドと一緒に、買い物に行ったんだな。そして、店を出たところで、記憶を失った」
「にゃあ…」
ジャックは3枚目のクッキーに伸ばした手を止めて、驚いた顔をして言った。
「先生、俺のこと、俺より知ってるんですね!」
医師は、飲みかけたお茶を噴き出さない程度には、ジャックの言動に慣れていた。彼は、恐らくは称賛すべき冷静さを保ちながら言った。
「現況では、お前の知人のほとんどがそうだろうな。それはそうと、いつものお前と変わらない気がする…」
その時、ドアがノックされた。
「どうぞ」
と医師が言い、訪問者が誰だか足音でわかった看護師が、ドアを開けた。
入って来た灰色兎は、最初からうっすらと嫌悪の表情を浮かべていたが、ジャックの姿を見ると、はっきりと不快感を表した。もちろん、彼はジャックを嫌いではないのだが、ジャックに(特に予定外に)出会うと、ろくなことにならないと知っているので、不快にならざるをえないのだった。
「アダンソン、何の用だ、僕を呼んだのは、その、か、彼に関係あることか!?」
と、ジャックを指して言う。
なにこのひと、めっちゃおこってる、こわい…と、ジャックは思っていた。
「ショケイスキー、忙しいところを申し訳ないが」
と、アダンソン医師は、ちっとも申し訳なさそうでなく言った。
「このカンシュコフ…ジャックが、記憶喪失になっていて、ちょっと私が診察したんだが、君も医師だし、私より彼をよく知ってるから、意見を聞こうと思ったんだ」
「記憶喪失?もともと記憶力なんかほとんどないじゃないか」
灰色兎が吐き捨てるように言うと、ジャックはビクッとして、「やっぱりこれこわいひとだ」という思いを強化した。
アダンソン医師は、呆れていることを顔に出さないように苦心しながら言った。
「ショケイスキー、医者として聞いてくれ。今診察したところでは、外傷なし、心拍正常、目、耳、鼻、喉に異常なし、歩き方も手足の使い方も異常なしだ」
「脳・神経系の異常を示す兆候はないということだな」
ショケイスキーは無表情に、ほとんど機械的に言った。アダンソン医師が頷いた。
「そういうこと。患者に言う言葉で言えば、どこも悪くありません、だ」
「記憶喪失以外は」
「記憶喪失以外は」
「にゃあ…」
ジャックは、記憶を失くして不安だということより、この灰色兎が怖いということで頭がいっぱいだった。アダンソン医師もべつに優しくはないが、怖くはなかった。このショケイスキーという男からは、ジャックに対して個人的に向けられた悪感情が感じられた。ショケイスキーが黄色い子ウサギに会うたびに身内に湧き起こる良くない感情の大部分は、自己嫌悪だったが、そんなことを子ウサギは知るよしもない。何やら積年の恨みでもあるように睨まれて、1時間より前の記憶を持たない子ウサギは、なすすべもなかった。
アダンソンは、ショケイスキーが何か有益なことを言ってくれるといいがと思いながら、カルテに1、2行書き足した。彼は貧しい労働者階級の出身で、苦学して医者になった。この監獄の矯正医官として働きながら、さまざまな不正行為に手を染めてもいたが、僻地の閉鎖的な施設の医師としては、わりと真面目で誠実な部類だった。誰でも予測できるように、クラレンス・ショケイスキーとはどう婉曲に言っても仲が良くはなかった。カンシュコフたちからは、フロイドがジャックをひとり置いて行ったことからわかるように、かなり信頼されていた。
「本当に、何も覚えてないのか?」
と、灰色兎はジャックを見下ろしながら言った。その位置関係が恐怖を倍増するような気がして、ジャックは立っていたほうがよかったかなあと思ったが、相手のほうが背が高そうだから、あまり意味はない、と最後まで考え終わらないうちに、灰色兎が言葉を続けた。
「僕のこともか。結構、結構。どうせ君の記憶力は、僕に嫌がらせをするための逆恨みの数々を覚えておくことぐらいにしか使われていなかったんだ。失ったところで、たいして困りはしないだろう」
「ショケイスキー、何を…」
アダンソン医師が止めようとしたが、ショケイスキーは止まらなかった、否、止まれなかった。
「その顔、その表情には、覚えがある。みんなで芝居をしていたころ、そんな顔で僕を見ていたな。初めて僕の執務室に、ギャラハドに連れられて来た時も、そんな顔をしていた。そうか、そのころに戻ったのか。まったく結構。その後の、生意気で意地悪で、子どもにもご婦人にも聞かせられないような言葉や行動で僕を苛んだ子ウサギは、いなくなったんだな!忘却の神、ブラヴォー!」
「ショケイスキー!!」
相手が黙らなければ、アダンソン医師は実力行使に出るところだったが、幸い、ショケイスキーは呼吸を整えるために言葉を切った。
「記憶喪失は、疾患だ」と、アダンソンは言った。「患者を侮辱することは許さん!」
「病人には見えないがな」
目を見開き、耳をぺったりと後ろに寝かせて震えているジャックを見下ろして、ショケイスキーは言った。
「体が元気なら、いいじゃないか。こんなバカな子の記憶なんて、何の価値もない」
「なんてことを言うんだ!バカだということは否定しないが、今そんな言い方は不適切だ。取り消せ!」
「今だっていつだって、バカはバカだ!」
「貴様…」
アダンソンは、本格的に怒りだした。
「わかったよ、私が悪かった。貴様には謝らないが、呼んだのは私の間違いだった。貴様は、10年前から変わらないな。医者の風上にも置けない卑怯な差別者め!!」
「君に言われたくないね!外で小遣い稼ぎばかりして、めったに監獄にいない監獄のお医者様!君がいないせいで、何度となく野蛮兎どもを診察させられた…この子にくだらない逆恨みをされたのも、そのせいだ、君のせいだぞ!!」
「出たな、何でもひとのせいにする、この中年兎の皮をかぶったガキ!無責任で自分勝手な甘ったれのクソガキ!!」
「君こそ正体を現したな!そんな汚い言葉を使って。医学博士の風上にも置けないのは君のほうだ。野蛮な黄色ウサギや、汚い囚兎どもに薬を塗ってやるようなことを、僕はしないからな!!」
(この灰色兎は、実際に医学博士だが、学者であり、なぜか臨床医を軽蔑している。理由はおそらく本人にしかわからないことなので、聞いても無駄です。)
「この…!!!!」
アダンソン医師は、手近にメスがあったらそれでショケイスキーを刺したかもしれない。彼が闇雲に手で掴んだのは、(経験から賢く学んだ看護師がジャックのティーカップの傍に置いた)台布巾だった。彼はそれをショケイスキーに投げつけた。
「…!!!!」
二人の医師が、メンツをかけて、最大級にメンツ丸潰れの下等な戦い、すなわち取っ組み合いのケンカを始めるかと思われた時、ノックの音とほぼ同時に、大兎が二人、飛び込んで来た。
「先輩!><。。。」
ジャックが、訴えるように手を伸ばした。フロイドは、事情はまったくわからないが、こういう時にすべきただ一つの行動を取り、ジャックを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。
「先輩、(ぐすぐす)このひとたちが、俺のこと、バカって言ったあああああ」
「おお、それは酷いな。よしよし、お仕置きしておくから…、うんうん、お前はバカなんかじゃないよ、ああ、いい子だ…」
フロイドがジャックを宥め、ジェフは、古い骨を取り合ってケンカしていた犬を見るような目で、医学博士たちを見た。ジャックは毎日何度となく、誰かに「バカ」と言われているので、ジェフはそれだけで怒るつもりはなかった。
アダンソン医師は、ふんと鼻を鳴らし、白衣の襟に意味なく触ると、自分の机の前に座って、ジェフに向かって「外傷なし」から始まる所見を述べた。
「体に異常はないと思うが、いちおう病院で検査を受けたほうがいいだろう。空軍病院なら、CTやMRIもできるから、紹介状を書いてやろう」
「スパシーバ」とジェフは言った。「教授は、ここで何してるんだ?」
「ああ、彼は」とアダンソンが言った。「意見を聞こうと思って呼んだのだが、役に立たなかった。ショケイスキー、帰っていいよ」
ショケイスキーは、5ページ分ぐらい悪態をつきたい気分だったが、そんな野蛮なことを野蛮ウサギたちの前でしたくはなかったので、
「では失敬」
と言って、立ち去った。

アダンソンが紹介状を書く間、黄色ウサギたちは医務室の中で座っていた。
まだべそをかいているジャックに、フロイドはジェフを紹介した。
「ジェフは、俺の相棒で」
とフロイドが言うと、ジェフが続けて、
「お前の元彼で元夫だ」
と言った。
ジャックはぽかんとして、それからぴょんと立ち上がり、
「ええええー?!?!」と叫んだ。
「お、俺、女なんですかー!!??」
アダンソンは、今度は不意をつかれて噴き出してしまったが、何も飲み食いしていなかったので、机の上のメモ用紙を数枚吹き飛ばしただけだった。
FとGは、「そう来たかー!」と衝撃を受け止めた。同時に「わりといつものジャッキーだ。あまり心配いらないのでは…?」と思った彼らを、誰が責められようか。
「違うよ、ジャッキー」と、フロイドは言った。それから、ジェフに、
「お前、いきなりそんなこと言ったら理解できないだろ!」とダメ出しした。
それから二人は、ジャッキーが女性化して結婚したことを話した。言わねばならないことだから言ったのであって、かわいそうな子ウサギを非常に混乱させてしまったが、誰も悪いわけではない。
「パーディに会わせて大丈夫かな?」
「パーディは対処できる。ジャッキーは、…何をしてもしなくても同じじゃないかと…」
という会話を、ジャックは聞いていなかった。彼は気持ちを落ち着かせようと、毛づくろいをしていたが、あまり落ち着くことはできなかった。女になったとか、結婚したとか、思い出せないのも辛いが、思い出すのも怖い…。

「そういうわけで、ジャッキー」
廊下を歩きながら、ジェフが言った。ジャックは、フロイドのジャケットの裾をなんとなく掴んで歩きながら、ちらっとジェフを見上げた。
「俺たちが夫婦だったこと、今もパートナーだということ、そして俺がこの世の誰よりもお前を愛してることは、理解したんだな?」
「は、はい」
と言いながら、ジャックはますますフロイドに身を寄せた。ジェフは、フロイドに「遺憾だ」と目で訴えた。
「しょうがないだろ」と、フロイドは言った。「ジャッキーにとって、お前はさっき初めて会った知らない男なんだから」
ジャックは、自分の気持ちをわかってくれるフロイドに、篤く信頼を寄せていた。だが、ジェフは納得いかない様子で、
「それを言ったら、お前だって1時間前に会ったばっかりじゃん」と言う。
「そうだけど…」
ジェフは、危険を感じて親鳥の羽の下に潜り込んで外を覗き見しているヒナのように、フロイドの腕にぴったりくっついてこっちを窺っているジャックを、散歩に来ただけなのになぜ警戒されるのかわからないと思っている猟犬の気持ちで見た。
「そうか、刷り込みだな」と、彼は呟いた。「記憶喪失になって初めて見たものを保護者だと思ってるんだ…」
「何言ってるんだ、俺の前に知らないおじさんたちと話してたぞ?お前はそういう飛躍した変なことを言うから、怯えさせるんだ」
ジェフは聞いていなかったが、フロイドはいつものように説教を続けた。
「お前の遺憾の意なんかどうでもいいから、ジャッキーの立場で考えろよ。お前の気に入る態度でなくても、今お前が全てを受け入れて見守ってやらなくてどうするんだ?今だけでいいから、自己中はカエルにでも食わせて…etc.etc.」

つづく
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例によって、このお話は余興です。一日限定女体化とか、一日限定ミニ化と同じような扱いです。記憶喪失は物語作りの定番モチーフなので、やってみたかっただけです。医学的正しさは、まったく追及していません。
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2017-09-03 12:23  コメント(0) 

[250]Qui Nous Guy Nus [ウサビッチ]

タイトルは、「きぬぎぬ」と読みます。漢字で書けば「後朝」です。
F君とG君の「なれそめ」話、思ったより長引いて、やっと終わらせることができました。今回はそのエピローグ的な章です。この二人のことなら、あと何十話か書くことができそうな気がします。とにかく、大好きなのです。言わずもがなですね、はい…。


 フロイドは、手を伸ばして目覚まし時計のほうへずるりと体を引きずった。やっと手が届いたので、ボタンを押してOFFにした。喉がからからで、頭が痛い。
 石が載っているのかと思うほど重い瞼をこすって目を開けると、隣でジェフも目を覚まして、棘が刺さってイラついているドーベルマンのように不機嫌な顔で、もそもそ起きようとしていた。全裸で。フロイドも全裸だから、べつに問題はない。
 二人はどうにか起き上がって、ベッドの上で背中を丸めて座った。髪は油じみてぼさぼさ、ヒゲが伸びてきて、互いに百年の恋もいっぺんに醒めそうな形相だったが、彼らはそんなことは気にかけていなかった。それより、
「うえー、体ベタベタ!」
「臭ぇし!」
「「最悪!!」」
 彼らはエネルギーが切れたゾンビのようにずるずる歩いて、シャワー室へ向かった。

 シャワーを浴びてさっぱりすると、彼らは互いに「洗い髪がセクシー♪」と思うぐらいに、気分が直っていた。少なくともジェフは、ちょっと寝不足だがまあまあ快調、お腹が減って早く朝ごはんを食べたいと思っていた。フロイドは、頭痛が取れなかった。
「飲みすぎだろ」とジェフに言われて、
「えー、そんなに飲んだ覚えないんだけど…」
「じゃ、全裸でゴジラの物真似したの覚えてるか?」
「えっ!」
「やっぱり記憶失くしてるんだな。飲んだことも忘れたんだろ」
「うぅ、そうかな…」
「それからまた飲んで、べろんべろんになってピアノ弾いて、酔ってても左手で16分音符でリズム取りながら右手で27分音符のメロディー弾いてぴったり合うってのをやって見せたけど、誰もそのすごさを認識できなかったのも、覚えてないんだろ」
「えー、それできたの?!いつもうまくいかないのに。録音しといてほしかったー><」
「まったく…。寮に帰るとき、俺が服着せたんだぞ」
「ご、ごめん…」
二人はこの会話を、制服を着ながらしていた。フロイドは、ジェフのベルトに警棒などがきちんと装備されているか点検してやり、それからネクタイを結んでやった。
「俺、ほかに変なことしなかった?――ずっとマッパだった以外に」
「変なこと…。ピアノのカバーをマントみたいに羽織って、『エクシビショニスト!』ってやって、『お前、裸族だろ!』って突っ込まれてた」
「あ、それはいつもやってる…俺って、ほんとバカだな。G君、軽蔑してるだろ。。。」
「それはない」
「ほんと?」
「うん。F君は、かっこいいし、音楽の才能はぶっ飛んでるし、マジ大好きだから」
「G君…///」
こういうことを真顔で言う男だということに、さすがのF君も何年たっても慣れることは難しいだろう。
 フロイドは、結び終えたネクタイの形を整えてやった。二人は帽子をかぶり、帽子から出した耳の毛を撫でつけた。
「行くぞ!」
「イエッサー!」
お仕事の時間の始まりだ。

 「プロポーズ」したことは、フロイドも覚えていた。「俺のもの」と言ったことについては、少々反省もしていたが、勢いで言葉のあやで言ったことであり、人をモノ扱いしたつもりはないということは、ジェフもわかっていた。ストリップショーを中断させても、場を白けさせるどころか、反対にさらに盛り上げたことで、ジェフはフロイドを素で称賛していた。
 「俺がバイ(セクシャル)だから、気を使ってくれたのか?」
「うーん、それは考えてなかった…でも、少しはあるかな?どうだろう…」
「大丈夫、イヤなら自分で言うし。でも、F君の思いやりは嬉しいよ」
「あ、うん…///」
 二人の様子を、少し離れたところで見ている者たちは、
「あいつら、報告書書いてるようには見えないなw」
「しょうがないな、プロポーズ翌日だしw」
「でも、お仕事はお仕事」
「チーフにちょっと叱られればいいよ」
「あー、真っ赤になって、何言ったんだろw」
「やーね、昼間から」
笑笑笑

 三つ子の魂百まで、ということわざもあるが、G君の勤続三日目から現在(1960年か61年ごろ。アバウトすぎ)に至るまで、F君との関係は基本的に変わっていない。作者が前にも言ったように、二人は永遠に終わらない蜜月を生きているのだ。

おわり。


【定期便】
おかげ様で250話になりました当シリーズは、「ウサビッチ」二次創作として始まりました。監獄という場所設定、カンシュコフなどのキャラクターの名前と設定の一部は、原作からお借りしていますが、捏造設定も多々あり、登場キャラのほとんどがオリジナルで、ストーリーも原作とは関係ありません。
原作への敬愛は変わることなく、今年は10周年だということで、心からお祝い申し上げます。


2016-08-27 14:49  コメント(0) 

[249]ウォッカとピアノと踊るウサギ [ウサビッチ]

一番大事な記念日≪8月26日≫なのに、関係ない話ですいません。1955年ですいません。。。


 翌朝の朝食時。
 F君はパンにマーガリンを、G君はピーナッツバターを塗っていた。(当時、マーガリンはバターの安価な代用品だった。料理兎たちの努力によって、当監獄の職員には、なるべく味の良いものが提供されていた。)
「いい匂いだな」と、F君が言った。「ピーナッツバター、町のスーパーに前はあったんだけど、ここ数カ月見かけないんだ。途中のどこで買ったって?」
「B__駅」と、G君は言った。
 二人は塗り終えたパンを交換して、それぞれ美味そうに食べた。
 何でも知っているカンシュコフさんたちは、G君が仕事に関しては有能で、F君の相棒としてうまくやっていけそうだということも、同僚に対して友好的で、まあまあいいやつだから 問題ないということも、すでに把握していた。少々階級が違うために、あまり好き放題にずけずけ質問することには、今のところ遠慮があることも事実だったが、その差異に関しても、同じ制服を着て同じ釜の飯を食っていれば、特に意識しなくていいだろう(意識しても、変に遠慮する以外にどうしたらいいかわからないし、そんなことはつまらないので)と、暗黙の同意がなされていた。
 
 他にも何人かのカンシュコフが朝食を摂っているところへ、おじさん組のM君とT君が来た。
「M君、連勤だね」
と、A君が声をかけた。カンシュコフたちは、年齢や勤続年数が違っても、皆対等の言葉づかいだ。
「奥さん、大丈夫なの?」と、B君が言った。「休んで家のことやってあげれば?」
「やってるよ」と、M君は座 りながら言った。「掃除洗濯買い出しは、ほとんど俺がやってる。女房は順調で、産休でヒマだと言ってる」
「4人の子どもがいて、腹ん中に一人いて、ヒマってことはないだろう」
と、T君がクリーマーを入れたコーヒーをかき混ぜながら言った。
「まあな」M君はちょっと笑って言った。「とにかく俺は稼がなきゃ。休みたくなんかねえよ」
 M君と奥さんは、子どもが増えることをとても楽しみにしていた。単に話題になることで、同僚たちにも毎日幸せを分け与えていた。

 「お前ら」と、M君がF君とG君に向かって言った。「初夜はどうだった?」
一同が「ぷっ」とか「うは」とか笑った。
 F君とG君は、ちらっと目配せし合うと、やおら立ち上がり、「愉快なゾンビの健康体操 」のような振り付けで踊りながら、歌った。

 ♪しょやきませーりー、しょやきませーりー、
 ♪しょやー、しょや、きませーりー!

歌い終わると、二人はさっと座り、何事もなかったかのようにコーンフレークに牛乳をかけて、シンクロした動きでばりばり食べた。(牛乳は、潤沢にある時と、何日もお目にかかれない時があった。)
 黄色ウサギたちは、コオロギのラインダンスでも見たような、あるいは苦虫かと思ったら甘い豆を噛みつぶしたような顔で、若い大兎のペアを見ていた。二人の間に、蚤一匹はいり込めないことは明らかだった。

 後ほど、休憩室にF君とG君が台車を押して来た。その場にいた者たちが、わらわらと寄って来た。
「ずいぶん来たな。誰宛て?」
「カ ンシュコフ一同様、って、俺たちにだな」
「誰から?俺たち宛てなら開けていいんだよね?」
「G君からだ」と、F君が言った。
「G君から?」
「俺たちに?」
みんなの視線が集まった先で、G君は小さく頷き、「手土産だ」と言った。
「それはそれは…」
「お気づかいいただいて…」
素直に手離しで喜ぶことには、なぜか「待った」がかかったようだったが、2、3秒のことだった。一人がガマンできずに、
「開けてみようよ!」
と言ってから、黄色ウサギたちがマジックハンドをカッターや鋏や釘抜きのように使って段ボールと木箱を開けるまで、30秒もかからなかった。
「すげー!」
「ゴージャス!」
「ハラショー!!」
木箱には、ウォッカ、ワイン、ビールなどの酒類 が入っていた。段ボールには、缶詰、ハム、ソーセージ、果物、チーズなど。値札や包装紙はなかったが、高級食料品店やデパートで買った物だということは、聞かなくてもわかった。食料品を買うために行列などしたことのない階級の人々が行く店だ。
「見ろよ、キャビアだ!」
「ヒューッ!」
輸出先の外国で買うより安いとはいえ、キャビアはやっぱり高級品だった。
「すごい金かかったんじゃない?!」
と、C君が丸い目をよけいまん丸にして言った。
「うん、まあ…」
G君はあいまいに頷いた。
「お前、高給取りだったから」
と、B君が言った。それなのになぜ、ここに来たのかということは、まだ誰も知らない。
「いや、しがないヒラの事務職員だったよ」と、G君は言った。 「でも、2年半働いたから、退職金出たし」
皆はしだいに現実を見るようになっていた。生まれた家はブルジョワだが、G君は本人が言うように、下っ端の若い事務職員だった。2年半で辞職して、退職金がどのくらい出たかということも、見当がついた。
「全部使っちゃった…ってことはないよな」
「まさか。でも…」
給料1カ月分ぐらいは、「手土産」に費やされたと思われた。なんでそういう金の使い方をするのか。ブルジョワだからか。
「とにかく、ありがたくいただこう」
と、その場にいた最年長のN君が言って、皆は頷いて、G君に「悪いねえ」とか「ありがとうよ」とか言った。
「それじゃ、G君の歓迎会ということで」
とA君が言うと、それ以上の説明は必要なかった。もら った酒と食べ物で、宴会を開こうというのだった。
「今日でいいかな?」
「いいんじゃね?」
「今日いないヤツは残念ということで」
「少し取っといてやればいいよ」
「よし、決まり!」
皆のG君に向ける眼差しが、最初よりだいぶ親しみをこめた優しいものになっていた。単純にいい物をもらって嬉しかったこともあり、また、G君がこれからも彼なりのやり方で同僚を大事にするだろうと、思ったからでもあった。

 その夜、みんな大好き新人歓迎パーティーが開かれた。ただ飲んで食って騒ぐ、いつもの宴会だったが、いつもより酒も食べ物も豪華なので、黄色ウサギたちは始まる前から興奮していた。
 お裾分けを進呈された厨房スタッフが、準備を手伝った。「野菜も食えよ!」と、レタスやトマトなどをどっさり切って、ハムやソーセージと一緒に盛り付けた。果物は器用な料理兎が格好良く切って盛り合わせ、クラッカーやチーズも、いつものスーパーで買った物とは一味も二味も違うものが、惜しげなく並べられた。
 調味料のボトルを何十本も並べて、料理長はドレッシングを作るためのオイルやビネガーを選んでいた。ちょっと興味を引かれたように傍で見ているG君に、
「お前、こういう物がいつでも手に入るのか?」と訊いた。
「取り寄せに時間がかかることはあるけど」
と若者が言うと、料理長は眉間に皺を寄せ、口を少し横に引き伸ばした。笑っているのか怒っているのかわからない、とにかく怖い顔だった。
「俺たちの仕入れネットワークと合わせれば、在庫を切らすこともなくなりそうだな。経理に金出させるほうが問題だが」
G君は、いつのまにか持っていたグラスからワインを飲んで、
「経理の人が予算を増やしてくれる気になればいいんだな?」と言った。
「そりゃそうだ。お前、何かできるのか?」
と言いながら料理長は、「こいつはそういうヤツなんだ」と、理解したようだった。蛇の道は蛇なのである。
「経理の上の方はちょろいけど、若いヤツで油断ならねえのがいる。お前らのチーフと渡り合うヤツだ」
と、重要な情報を囁くと、G君は、
「へえ。まあ、鋭意努力するよ」
と言って、残りのワインを飲み干した。

 カンシュコフ・チーフとロウドフが登場して、宴が始まった。皆で乾杯した後は、それぞれが好きなように飲み食いし、喋ったりゲームをしたり、くつろいで過ごしていた。
 しばらくして、フロイドがピアノを弾き始めた。BGMとして、軽快だがうるさくない曲を、咥え煙草で楽しそうに弾いていた。ピアノはドイツかオーストリアで作られた良いもので、どうしてここにあるのか、チーフなどは知っているはずだが、なぜか教えてくれなかった。調律師だった囚人に調律させているので、監獄の職員食堂に似つかわしくない素晴らしい音色を響かせていた。
 同級生組の同僚たちと話しているG君(みんなかなり打ち解けてきて、人懐こいC君などは、すっかり馴れ馴れしく個人的なことも訊くようになっていた)は、会話を楽しんでいたが、彼の毛並みの良い耳は、ピアノのほうを向いていた。
 話が一区切りついたとき、G君はさりげなく立って、飲み物が置いてあるテーブルに行った。近くで、料理長がおじさん看守の一人とボードゲームをしていた。若い料理兎が一人、会場全体に目を配って、食器を片付けたり、飲み物・食べ物を補充したりしていた。G君は、グラスにウォッカとライム果汁とジンジャーエールを注いで混ぜた。若い料理兎が、「モスコミュールか」と言って、「これも持っていくか?」と、キャビアとクリームチーズのカナッペが載った皿を突き出した。
「Cheers!」
G君は、グラスと皿を持って、ピアノの傍へ行った。

 「スパシーバ!」
フロイドは、吸いかけの煙草を灰皿に置いて、モスコミュールを飲んだ。そして、カナッペをバリボリ食べながら、手は鍵盤の上に走らせた。お行儀悪いが、彼が気にしなければ、ほかに気にする者はいない。もちろん、死んでもピアノの上にパン屑も煙草の灰も落とすことはない。
「ピアノ、すごく上手いんだな」
と、ジェフが言った。淡々とした言い方だったが、心から称賛していることが、聞き手に伝わった。
「それほどでも…」と、フロイドは言った。褒められたことは本当に嬉しくて、少し照れていたが、謙遜というよりは、実際に自分などたいしたことないと思っているのかもしれなかった。
「親父に教わって、それからはずっと自己流だし」
7歳のときに父親を亡くしたことは、もう話していた。
 片手で弾きつづけながら、片手でグラスを持った。
「お前、なんか楽器弾く?」
「ギターを少し」
「ギター!いいねえ」
「子どものころ、ピアノとバイオリンを習った。ピアノはどうも性に合わなかった。バイオリンはわりと好きだったけど、ギターを始めたら、断然そっちがよくなった」
「へえ…」左手だけで、ハープを弾くようなアルペジオを鳴らし、「ギター持ってるんだろ?ここに持ってくればいいのに!」
「寮で弾いていいのか?」
「もちろん!レコードプレーヤーがないから、音楽はラジオでしか聞けないんだ。ギター弾いたら、みんな喜ぶよ」
「ふーん…」
ジェフは、フロイドからグラスを受け取って、モスコミュールを飲んだ。このジンジャーエールはちょっと甘すぎると思っていたが、今はちょうどいい気がした。
 「ピアノは、今は触りもしないのか?」と、フロイドが言った。「これ弾ける?」
彼は両手を使って、とても単純な伴奏的なフレーズを弾いた。片手でも簡単に弾けそうだが、子どもや初心者は両手でどうぞ、ということだろう。単純な4つのコード。
「これをずーっと繰り返して弾いてみて。俺がこっちでメロディー弾くから」
と、フロイドが言う間に、ジェフは彼の隣に椅子を持ってきて座り、手を鍵盤の上に置いてスタンバイしていた。
「1、2、3、4!」
 
 今までとは雰囲気の違う演奏が始まったことに気づいて、みんなはピアノのほうを見た。
「二人で弾いてる」
「連弾っていうんだよね?」
「ああ、うちの娘の発表会でもやってた」と言ったのは、ロウドフだった。
「彼らは、いいパートナーになりそうですね」と、チーフが言った。
「うん、息ぴったりだよ」とA君。
「ラブラブだよ」とC君。
 単純なコード進行に合わせて、フロイドはピアノの右半分で、どこかで聞いたような気がする心地よく覚えやすい旋律を弾いた。
「F君は、あれ全部一人で弾けるよな」と、誰かが言ったのは正しかった。
 そこから、フロイドはメロディーを変奏していった。ジェフが弾く伴奏はずっと同じなのに、曲はどんどん変化して、違う色合いを見せていった。甘くやさしく、楽しげに、切々と、高らかに、クスクス笑うように、激しい感情をぶつけるように、…。やがて、これは2拍子の舞曲であると発見した者たちが、思い思いの振りで踊り始めた。踊る者も見る者も、気持ち良く昂ぶってきて、ハリーとロウドフがコサックを踊りだすと、皆は大喜びで掛け声とともに拍子を取った。
 曲のテンポが、わずかずつ速くなっていった。フロイドの弾き方は、どんどんアクロバット的になっていった。左手はジェフの手を跳び越えて低音部で蠢きながら、右手は高音で小鳥たちの乱闘のように騒がしく歌うこともあり、信じられないような高速走行と跳躍が繰り返された。ハリーとロウドフは向かい合って、スピードの増すコサックを踊り、だんだん顔から余裕の笑みが消えていった。ピアニストが倒れるか、ダンサーが倒れるか、見物人もまるで格闘技の応援をしているかのように、汗びっしょりで跳びはね、踊り、声を枯らして叫んでいた。
 ピアノが、一度に30ぐらいの鍵盤が押されたのではないかと思うような轟音――だが美しい和音――を響かせて、フロイドが椅子から転がり落ちたのと、ハリーとロウドフが白目を剥いて倒れたのが、同時だった。他の者たちも、マラソンでゴールしたときのように息が切れて、床に転がったりテーブルに突っ伏したりして、呼吸が落ち着くまで動けなかった。
 冷静に嬉しそうに拍手したチーフ一人を除いては、普通に立って歩けるのはジェフだけだった。彼はウォッカをソーダで割って氷を入れ(料理長は少し前にビールを全種類味見し、ウォッカを多量にあおってぐうぐう寝ていた。しばらくしたら復活する予定。若い料理兎は、おかしらに見咎められないので、つい黄色ウサギと一緒に”応援”してふらふらになり、壁に寄りかかって肩で息をしていた)、フロイドに手を貸して起こして、それを飲ませた。
 フロイドは、この場合ただの水でなくウォッカを持ってきた相棒に、いたく感動したもようで、ソーダ割りを一気に飲み干すと、ジェフをハグして、彼の両頬にキスした。
 まだろくに声も出ない同僚の一人が、「あ、ちゅーした」と言うと、傍にいた者が「ダメじゃん、口にしなきゃ」と言い、彼らは空気が抜けたようにひゃらひゃらと笑った。
 
 まもなく、ロウドフも復活した。彼とチーフは、子どもたちが新しい仲間を受け入れて、楽しく過ごしていることを嬉しく思うと言って、満足した様子で帰って行った。(ロウドフは当時32歳ぐらいだったが、自分より年上の看守たちにまで、兄貴分のように慕われていた。おそらく、子どものころから常に「兄(あに)さん」や「おやっさん」の役割を演じてきたのだろう。黄色い若者たちも、ロウドフと対等のように付き合いながら、しばしばその「パパ」的キャラを頼りにしていた。)

 体力自慢のカンシュコフさんたちは、少し休むとまた元気になってきた。飲み物も食べ物も、まだたくさんある。チーフたちは帰ったから、もう誰に遠慮もいらない。夜はこれからだ。
 「これ美味いな!」
ハリーは黒ビールを飲み、運動したら腹が減ったと言って、料理兎が作ったコンビーフと卵のサンドイッチをもりもり食っていた。
「どこのだ…?」
と、ラベルを見るが、英語はよくわからない。
「アイルランド」
と、ジェフが言った。
「アイルランド?って、資本主義国か?」
「まあ、こっち側ではないな」
「へえ…」
 とりあえず空腹が収まると、ハリーは煙草を探していくつかのポケットを叩いたが、空き箱しか出てこなかった。
「べらぼうめ、フロイドにやらなきゃよかった…」
同じ銘柄を吸っているから、ハリーとフロイドはいつも互いに煙草を失敬し合っているが、公平に言って取るのが多いのはハリーだし、吸いたい時に煙草がないのは、たいていフロイドは関係なく、自分がどこかに置き忘れてばかりいるからだった。
「これ、よかったら」
と、ジェフが自分の煙草を差し出した。
「サンキュ。見たことねえな。これもアイルランドか?」
「ニェット。珍しいか?駅で売ってたけど」
ハリーは、ラベルと違う味のガムを渡されたときのような顔で、紙巻き煙草のニオイをかぎ、クセはなさそうだと思って火をつけた。
「コサック、すごかったな」
「まあな。やるときゃやるぜ。勝負したけりゃ、いつでも受けて立つぜ…今以外な」
ハリーは、大きな口を横に広げてにかっと笑った。
 「そうだ、今日の主役のG君、俺が歓迎の舞を舞ったんだから、お前もなんか踊れよ」
とハリーが言うと、傍で聞いていたA君が、
「出た!G君、ハリーの『だから』は理不尽だから、聞かなくていいからね」
と言って笑った。
「てやんでぇ。何が理不尽だ。この上なく筋が通ってるじゃねえか。おう、お前、ゾンビ音頭でいいから踊れよ。あれウケるよな」
ハリーがそう言っていると、聞きつけた仲間が、
「おーい、G君が踊るってよ!」
「待ってましたー!」
「F君、音楽!」
と、早くも期待でふくらんでいた。
「え、踊る?そう…」
フロイドは、ちょっと気遣わしげにジェフを見た。彼が嫌がっていたら、自分が止めようと思ったのだが、ジェフが「オッケー♪」というように耳を振ったので、それなら楽しくやろうと、ピアノの前に座った。

 黄色ウサギは、楽しかったり嬉しい気分になると、自然に踊りだす兎種である。酔っ払い集団の中で、新入りに踊らせることは、少々配慮すべき場合もあったが、G君は何も問題なさそうに踊った。キツネのダンスを始めれば、近くにいた数人が一緒に踊り、しばらく踊った後、一人一人とハグする。これは儀式的に「お前の踊りが一番上手かった」と言うことになり、そうして指名された踊り手に花を持たせるのである。
 ジェフは次々にカエルのダンスや七面鳥のダンスを披露し、みんなに立派な踊り手として認められ、迎え入れられるという儀式を済ませた。この集団は、プログラムも打ち合せもなく、こういうことができるのだ。ジェフがそこにすっかり溶け込んでいるのを見て、フロイドは誰よりも喜び、胸を熱くしていた。

 だが、それだけで終わらないのも、黄色ウサギである。儀式の時間が終わったと感じると、リズムに乗って体を揺らしながら、
「えー、皆様お楽しみのところ、大人の時間になりました」
「そろそろ本日のメインイベントですね」
まだメインじゃなかったのか!まだ騒ぐ気なのか!もちろん。カンシュコフだから。黄色ウサギだから。
「『裸族が自然に返るとき』ですね」
「自然はいいですねー」
「いいですよー。それ、裸(ら)、裸、裸!」

♪裸、裸、裸!裸、裸、裸!

「え、脱げって言われてる?」
とフロイドは思って、ピアノを弾きながらどうやって脱ごうかと、わりと本気で考えたのだが、すぐに、一同が脱がせようとしているのは自分ではなくてG君だと、気がついた。
「そりゃそうだよね、主役なんだから。…え、いいのそれで!?」
G君はそれでいいらしく、踊りながら、緩めてあったネクタイをしゅっと取り去った。
「いいぞー!」
「やれやれー!」
ジェフは、シャツのボタンをはずし、胸を肌蹴る、と思わせて、片足を上げると、靴を脱いでポイと投げた。もう片方も…。
「靴かよww」
「焦らす、焦らすww」
観衆は笑いながら、手を叩き、足を踏み鳴らす。フロイドは、「いいのかないいのかな…」と思いながら、演奏を止めることができなかった。

♪チュラチュラチュラチュ裸裸~

 ジェフは、自分の体に指を這わせたり、肩越しに観衆に流し眼を送ったり、ノリノリでストリップショーを続けた。彼がシャツを脱いで、素肌にサスペンダーという姿になると、観衆はますます興奮してきた。当然のことながら、すでに裸の付き合いをしている彼らは、男の体が見たいわけではなかった。ただ、このショーをG君自身が盛り上げようとしていたし、”笑わにゃ、損、損”、”楽しまにゃ、損、損”という了見のウサギたちだから、とことん盛り上げて面白がろうとしていたのだ。
 一人が、ジェフのサスペンダーにお札に見立てた紙切れを挟むと、他の者も次々に、彼のズボンのポケットやウエスト部分にも紙を押し込んだ。
「こっち来い、100ドルやるぞ!」
「こっちは1000ルーブルだぞ!」
「1000ルーブルのほうが安いじゃん」
「ははははは…」

♪チュラチュラチュラチュ裸裸~

 みんなで酒を飲ませ、御祝儀をやって、撫でたり叩いたりハグしたり…。ここの宴会の雰囲気を新人に覚えさせることは、とにかく大成功だった。
 その時。

 バーン!と不協和音とともに、
「ダメー!!!!」
という叫びが上がり、ウサギたちの耳がいっせいにそちらを向いた。
「ダメー!!」と、フロイドは言った。
「G君は俺のものだから、触るなー!!!!」
 2秒、いや、1・5秒ぐらい、誰のリアクションも出なかった間に、フロイドはジェフの傍に向き合って立ち、涙を溜めた目で彼を見つめた。
 愉快な仲間たちにとって、これはアルコール度96度のウォッカ(*)より強力な燃料だった。
「F君、プロポーズか!?」
おおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
「G君、返事は?!」
ぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?←固唾を飲んで見守っている。
 フロイドは、顔を赤らめて、ジェフのあちこちに挟みこまれた紙切れを、取って投げ捨てた。(実は、その中には何枚か本物の1ルーブル札もあって、ジェフが紙切れを捨てながら同時にそれらをしっかりポケットの奥にしまっていたことに、傍にいた者もまったく気づかなかった。彼はクロースアップ・マジックが得意で、彼が隠しておきたい手の動きは、近くで見ている人にも決してわからないのだった。)
 二人は顔を近づけ、ジェフの耳がフロイドの耳を撫でていた。そして…
「鼻ちゅー!!」
「それから?」
「おい、ちゃんとキスしろよ~」
「F君、キスまでがプロポーズだぞ!」
 キス、キス!とはやし立てる者たちは、フロイドが酔って上機嫌の時は親しい仲間によくキスしていることを知っていたから、困らせるつもりは全然なかった。G君の気持ちは?ということに関して、全く疑問を感じていなかったことは、少々問題かもしれないが、細かいことはいいんですよ。二人は見つめ合って、優しくキスをした。
「あれ、もう終わり?」
「子ウサギのちゅーだなw」
「もっとべろべろちゅっちゅしていいのよ~?」
「まあ、いいじゃん。これで婚約成立だな!」
「おめでとう!」
おめでとう!!!!!!

ほい、めでてえな!
ひとまずおわり。


 余談。
 ところで、読者諸兄の中には、「これ、余興として楽しんじゃって大丈夫なの?」とお思いの方もいらっしゃることでしょう。数年後の彼らの状況をご存知なら、まあ、大丈夫なんだよね、とお思いにもなるでしょうけれど。とにかく、この時同僚たちはまだ、G君について重大な情報を知らないのでした。彼がバイセクシャルであるという情報を。
 そのことを知ったとき、愉快な仲間たちが驚愕したのは、性的志向性そのものに対してではありませんでした(それはあまり気にしない子が多い)。裸族で相部屋でむっちゃ仲良しで片方がバイって…。放置していいのか?介入するのもおせっかいだし。待て、F君の貞操がどうなってもいいと言うのか?いや、貞操なら両方のだろう。でも、大人なんだから、本人たちに任せるべきなんじゃないか?それもそうだが、俺の好奇心をどうしてくれる。興味本位ですが何か。・・・
 で、どうなったかというと、はい、ご存知のとおりです。
 

(*)実在します。ポーランド産「スピリトゥス・レクティフィコヴァニ」というウォッカです。


2016-08-26 16:55  コメント(0) 

[248]幕間劇”誰がハリーを殺したか” [ウサビッチ]

 脱衣所で、G君がのんびりタオルで髪と耳を拭いている間に、彼の尻尾にF君がドライヤーを当ててやっているのを見ても、ひとしきり笑った後にちょっと賢者タイム的になった同僚たちは、「思った通りすぎる」ということで、特にコメントはしなかった。思い出し笑いの混じった軽いニヤニヤ笑いが、散見されるだけだった。
 尻尾が乾くと、G君はF君からドライヤーを受け取ろうとしたが、F君が慌てたように「自分でするよ!」と言った。が、G君は「いいから貸せよ」とドライヤーを取って、F君の尻尾に温風を当てた。(ウサギたちが使うドライヤーは、尻尾を乾かすのにちょうどいい生温かい風が出るようになっている。)F君はちょっと困ったような顔をして、でも動かないで尻尾を乾かしてもらっていた。彼は裸族だから、尻を見られていると思っても恥ずかしくはなかったはずだが、もしかするとそうとも限らないのかもしれないし、他人にはわからないことである。そんな二人の様子を見て、「やっぱりこれ面白い」と、何人かは思っていた。
 G君も裸族であるとは、まだ誰も知らなかったので、彼がみんなの前で全裸で平気だということは、少なからず注意を引いた。
「上流階級って、人前でフリチンOKなの?」
(注。何度も言うが、G君の家庭は上流階級ではない。ここの黄色ウサギたちにとって、相対的に上流なのである。)
「お下品だとは思ってないのかも」
「やんごとなき方々は、かえって平気なんだよ」
「召使に洗わせたりするんだろ?」
「うそ!」
「やだー!」
 彼らがゲラゲラ笑っている時、ハリーはカウチに寝転んで、のんびりした様子で煙草を吸っていた。ここで煙草を吸うなと、時々文句を言う者もいたが、ハリーの耳に念仏だった。(いろいろ間違っているかもしれないが、なんとなく気持ちがわかれば話は続くから、気にしなくてよろしい。)ふと、そんなハリーに気がついたように、C君が、
「ハリー、元気ないんじゃない?」と言った。
「ああ?」
ハリーは、そちらへちょっと首を回した。
「元気ないハリーってwwwww」
それだけで立派なジョークだというように、A君が笑った。
「F君の位置で、ラブラブ・ハッピーしてるのは自分だったはずなのに、と思って寂しいんだろ」
と、「おじさん組」の一人が言った。
 その言葉の意味を、ハリーが理解して「てやんでぇ」とか言い出す前に、F君が反応した。彼は手拍子しながらハリーに近づき、歌った。

「♪誰がハリーを殺したか!」(*1)

リズムに乗った数人が繰り返した。

「♪誰がハリーを殺したか!」

ハリーは、何か始まったなあと思いつつ、死体らしく(?)おとなしく横たわっていた。煙草を吸う死体だが。
フロイドが歌う。

「♪俺がやった、とセールスマン
  ジュースの空き瓶、ポイ捨てしたら」

そのへんにある、風呂上りにみんなが飲むミネラルウォーターの空き瓶を1本持って、投げる動作をすると、C君がその瓶を持って、みんなの手拍子の中、瓶が飛んでいってハリーの頭に当たるという状況を再現した。ハリー、ガクッと死ぬ演技。

「♪ハリーに当たって、さあたいへん!
  殺しちゃったよ、どうしよう!」

フロイドに続いてコーラスが、

「♪殺しちゃったよ、どうしよう!!」

ハリーがむくっと起き上がる。

「こんなことじゃ、死なねえよ!」

みんながどっと笑う。
フロイドは全裸で踊りながら、みんなにもっと手拍子するように煽る仕草をした。

「♪誰がハリーを殺したか!」

(コーラス)「♪誰がハリーを殺したか!」

C君「♪私がやった、と園芸おばさん。
  農薬もらって、帰り道、
  ヘッジ(生垣)のアブラムシに試しにシュッ!」

C君は、スプレーではなく、ベビーパウダーのようなものを、ハリーに向けてばふっと舞い上げた。

ハリー「げほっ、ごほっ!!」

C君「♪あらやだ、人がいた!
  ヘッジの向こうを覗いたら、」

ハリー、死んだ虫のように仰向けになって手足を曲げる。

C君「♪殺しちゃったよ、どうしよう!」

コーラス「♪殺しちゃったよ、どうしよう!!」

ハリー「へーくしょん!こんなことで死なねえよ!」

誰かがリズムに合わせて風呂桶を木の柄がついたブラシで叩き始めた。シャワールームに風呂桶が何のためにあるのか(しかも木製)、不明である。たぶん、こういう時のためにあるのだろう。

「おーい、死んでねーぞ。次行けー!」と、声が上がる。
フロイドが続ける。

「♪誰がハリーを殺したか!」

(コーラス)「♪誰がハリーを殺したか!」

ここで、G君が演技の場に躍り出た。

G「♪僕がやった、と小学生!」

「小学生、カッコ胸毛あり、だな」
「もっと下のことも言いたいけど、俺たちお上品だから控えるよ!」
どっと笑い声。
G君は、片手にコップを持って、ボトルの水を注いだ。

G「♪どくいりジュースをつくりました!」

一つまみの粉をパラパラと入れると、コップの水は緑色(注。この世界では「毒」の色)になった。

「何だあの粉?」
「マッパでどこに持ってたんだよ!」
「手品師か?w」
「いいぞいいぞー!」

G(コップを目の高さに持って、足元を見ていない)「♪こぼさないように、もってかえるところ、ねているおじさんにつまづいて、」

ハリーの前で躓く動作。

G「♪おじさんのかおに、こぼしちゃったー!」

ハリーの上に緑色の水をこぼして、

G「♪おじさん、どくいりジュースをのんで、しんじゃった!
   たいへんだ、ころしちゃった!」

コーラス「♪殺しちゃったよ、たいへんだー!
  ♪殺しちゃったよ、どうしよう!!」

ハリー「このガキwww(と笑いながら顔を拭いて)このぐらいで死なねえよ!」

コーラス「♪死んでないよ、困ったな、じゃなくて、よかったねー」

「おい、ちゃんと殺せよーw」
「誰がハリーを殺せるか、になってきたぞwww」
手拍子、足拍子、風呂桶、空き瓶、それにどこから出たのかパフパフラッパまで加わって、にぎやかというか騒々しくなっていた。素面でこうなるのも、カートゥーンの住民である黄色ウサギだからだろう。

F「よーし、本気出していこう~!
  ♪誰がハリーを殺したか!」

コーラス「♪誰がハリーを殺したか!」

A君「♪俺がやった!と猟師が言った。
    オオカミを撃ったつもりだったが」

A君が猟銃(少なくとも見かけは本物。なぜシャワー室にあるのかは不明)を構える間に、G君が風船(それもそのへんにあったのだろう。全裸のG君が隠し持つのは不可能だから)を2個ふくらまして、ハリーの両手に持たせた。

バン!バン!(銃声と風船が割れる音が重なる。)
ハリー、なんとなく圧力でひっくり返る(演技)。

A君「♪手ごたえあり、と見てみたら、
   なんてこった、ハリーを撃った!」

コーラス「♪殺しちゃったよ、たいへんだー!
  ♪殺しちゃったよ、どうしよう!!」

ハリー(起き上がって、割れた風船を投げ捨てる)「当たってねーよ、生きてるぜw」

コーラス「♪死んでないよ、また失敗、じゃなくて、よかったねー」

ハリー「♪俺の昼寝をジャマするのは誰だ~?
      怒らねえから、手を上げろ」

みんな、隣のやつの手を上げさせようとして、ドタバタになる。ハリーが、ケンカしているウサギたちを一人ずつ掴んで引き離すと、彼らは並んで変な動きで「今日も元気なゾンビダンス」みたいな踊りを始める。F君とG君が真ん中でダンスをリードしている。

ダン、ダン、ダダン!タラッタラッタラッタ~…
演奏とダンスは続く。

F「♪誰がハリーを殺したか!」
G「♪迷宮入りとなりました!」
H「だから死んでねーって!!」
A「♪そんなハリーも、ご一緒に!」
B「♪タラッタラッタラッタ、ウサギのダンス!」
C「♪ウサギ百まで、踊り忘れず!」
D「♪死ぬまで踊れ、死んでも踊れ!」
H「♪同じ死ぬなら、踊らにゃ損、損!」
全員「♪踊らにゃ損、損!!」


余談。
A「ところで、G君も裸族なの?」
F「あ、うん、そうみたい」
「「「「「「「なんでお前が答えるんだーーー!!!!」」」」」」」

つづく。


(*1)以下のパフォーマンス(フラッシュモブ的だが、完全に打ち合わせなしの即興)は、ヒッチコックの映画「ハリーの災難」にインスパイアされているようでもあるが、たぶん関係ない。「ハリー」だけ合ってるw


2016-08-01 23:37  コメント(0) 

[247]More Lovely And More Temperate [ウサビッチ]

Shall I compare thee to a summer’s day?
Thou art more lovely and more temperate.
(Sonnet 18)
君を夏の一日にたとえてみようか?
君のほうが綺麗でおだやかだけどね。


 カンシュコフG君(名前はジェフリー、名字はこの日からカンシュコフになった)は、一日目の研修を滞りなくこなしていた。数日間は、教育係が付きっきりで、必要なことを教えながら仕事をする。一週間もすると、何でも一人でできるものとみなされる。実際には、そんなにうまくできないが、慢性的に人手不足だから、新入りでも容赦なく一人分の仕事を割り当てられる。
 G君の場合、教育係のF君が気を使って、無理をさせないようにして、むしろ甘やかしてしまいそうな予感があるが、まだその懸念には誰も気づいていなかった。彼の新しい職業生活が良いものになるようにと、心から願っている筆者としては、彼の良い面――素直さや、その気になれば几帳面で勤勉になれるところ――が、十分に発揮されることを祈りながら見守っているところである。G君としても、F君のことを彼なりに尊敬して、期待に応えようとしているはずだから、きっと良い結果につながることだろう。きっと…。

 囚人たちは噂していた。
「新しいカンシュ、なんか気味悪いヤツだな」
「若造のくせに落ち着いてやがる」
「噛んでたガム後ろから投げつけてやったら、振り向きもしねえでマジックハンドで撃ち返しやがった。鼻に入っちまったぜ」
「お前の鼻の穴が、でかくて上向いてるからだろ」
一同、ゲラゲラ笑う。
「そこが問題じゃねえだろ!」
「んだと?」
「やるか?」
すぐケンカ腰になって威嚇し合うのは、頭の悪い野良ネコ以下である。囚人のドンの側近が、二人の脚を蹴ってよろめかせ、他の者たちを睨み据えて言った。
「ちょっと変わったことがあると落ち着かねえな。てめえら、猿か?行儀悪いヤツは、煙草もおやつも取り上げると、ドンからのお達しだ」
 囚人たちは、口応えすると本当に恐ろしい罰が待っているので、口をつぐんで下を向いた。

 「囚人にはドンがいて、奴の命令は絶対だ。囚人の掟とか、制度的には認められてないけど、けっこう俺たちの役にも立つんだよ」
F君はG君に説明していた。
「ドンも、実は最近代替わりしたところなんだ。前の奴が、助命嘆願がついに間に合わず、処刑されたから。今のドンは、懲役380年、最初の300年は仮釈放なしっていう量刑で、あっちこっちにせっせと嘆願書を出している」
 二人は、中庭で自由時間を過ごす囚人を監視していた。高い所で中庭を見渡している監視員のほかに、2、3の看守は囚人たちの傍を歩いて、不適切な行為がないか細かく見ていた。
 「フェステ、いよいよ明日だな」
と、F君は一人の囚人に声をかけた。その囚人の特徴は、特徴がないことだった。中背でおとなしそうな男で、少し猫背で目立たないように控えめに立っている今は、町役場や学校の事務室にこういう人いる、と思わせる風貌だった。実は、彼は詐欺の常習犯だった。労働者から中産階級の紳士まで、思い通りに変装し、調子よく、あるいは物静かに賢明そうに振る舞って、人を信用させた。文書や刻印などの偽造も得意だった。
 「はい、おかげ様で」
と、へりくだった態度で答える囚人は、なぜここにいるのかわからないほど、善良そうに見えた。
「こいつは」と、F君はG君に説明した。「俺なんかが学校行ってたころから、出たり入ったりしてるんだ。よく仮釈放になったよな。次はないから、二度と戻ってくるなよ」
「心得ています」
そう言っても、また戻って来るのだが。
 「こいつ、面白いんだよ」と、F君は調子を変えて言うと、囚人に向かって詩の冒頭を投げかけた。
「Shall I compare thee to a summer's day?」(*1)
囚人は、穏やかな微笑みとともに、
「Thou art more lovely and more temperate.」と、2行目を暗唱した。
そして、G君が次の行を、
「Rough winds do shake the darling buds of May,」
と読むと、フェステは見るからに嬉しそうに、
「And summer’s lease hath all too short a date.」と続けた。
「フェステっていうのは、あだ名だろ?」と、G君が言った。
「そうです。光栄なことに、あなた方のチーフに進呈されました」
「『十二夜』の道化だよな」と、F君が言った。「俺も道化だけど、バカやって笑ってもらうだけで、フェステみたいなワイズ・フールじゃないんだよなあ」
「フェステの女主人が言っています」と、フェステというあだ名の囚人は言った。
「This fellow is wise enough to play the fool;
    And to do that well craves a kind of wit:
この人は利口だから阿呆の真似ができるのだわ。
阿呆を務めるには、知恵が必要なのよ。」(*2)
「え、何?俺のこと、お利口だって言ってるのか?」と、F君が言った。
「そうなんじゃね?」と、G君がニヤニヤしながら言った。
「それはどうもありがとう」
F君は、羽飾りのついた大きな帽子を持った手を、半円を描いて大きく回して胸に当てるような仕草で、お辞儀をした。
 フェステから離れて歩きながら、F君は言った。
「あいつに会えなくなるのは寂しいけど、あんなに才能あって、いいヤツなんだから、シャバでいい仕事してほしいよ」
彼は少し涙ぐんでいるようだということに、G君は気づいていたが、それには言及しなかった。なかなか良いこともある仕事だと、ちょっと感動していたのか、それとも「ヤツがまた戻ってきたらF君は『俺の涙を返せ!』と言うのかなw」と思っていたのかは、定かではない。

 新米カンシュコフG君の一日目最後の仕事は、夕食の世話だった。昼食時とは違って、F君は独房や特別房へ食事を運ぶことを教えた。
「ここにいるのは、凶暴なヤツや、死刑囚だ」
と、頑丈なドアが並んだ廊下で、F君は言った。
「入ったばっかりのヤツ以外は、おとなしいけどね。基本的に房から出さない。いい子にしてれば、庭で『散歩』させてやるから、それを楽しみにするようになる。食事も、」と声を落として、「低タンパク低カロリーにしてあるんだ。いちおう栄養士の指導で、ビタミン・ミネラル入りのスープを一日一回出すけど、あんまり精のつくものは食べさせない」
 G君は、皿の上の魚を見た。パン皿ぐらいの大きさの、平たい魚が丸ごと一尾。お世辞にも美味しくなさそうな色だが、タンパク質であることは確かなので、多くの囚人にとってはごちそうである。魚がない時は、何でできているのか食べてもわからない謎の物体が出る。(おが屑か雑草の根だという説が有力である。栄養士は否定している。厨房の料理兎たちは沈黙している。)魚は茹でてあるということだが、生きているような目をしていて気味が悪い。
 「この魚、食べちゃえば問題ないんだけど、トイレに捨てたりすると、生き返って下水で繁殖するんだ」
とF君が言うと、G君は呆れたように、
「それ、都市伝説か?あ、ここ都市じゃないか」と言った。
 F君は、一つのドアの覗き窓をシャッと開けて、中の様子を見て、G君にも見てみろという身振りをした。G君が覗くと、大柄だが痩せて毛もパサパサの囚人が二人、こちらを向いて背を丸めて立っていた。覗き窓が開いたことはわかっているはずだが、彼らが見ているのは、もっと下、ドア下部にある差し入れ口だった。
 F君が差し入れ口から2枚の皿を無造作に滑り込ませると、囚人たちは無言で飛びついてそれぞれの皿を取ると、自分のベッドにダッシュで戻り、ガツガツ魚を食べた。
 「次、行くよ」
と、F君が言って、G君は覗き窓を閉めて隣の房の前へ移動した。
 「魚が繁殖してるのは、確かだよ」と、F君がさっきの話の続きを始めた。「カエルもいて、互いに食べて共存共栄している、とも言えるけど、食い合ってるから数は増えない」
G君は、これは監獄豆知識なのか、まことしやかなホラ話なのか、どっちにしても興味深いと思いながら、差し入れ口から不味そうな魚の載った皿を入れた。
 「カエルは、トイレから出てくることもあるが、囚人に捕まったら食われるに決まってるから、おいそれとは捕まらない。ヒヨコをエサにすると釣れるという噂だが、そんなもったいないことは誰もしないw」
「ヒヨコって、これ?」
G君は、ふらふら飛んできたオカマヒヨコを捕まえて言った。
「って、これほんとにヒヨコか?変な顔…」
オカマヒヨコは、侮辱されて喜んで「アヲ~~~~~ン」
「あれ、こんな所で何してるんだ?」
と、F君がヒヨコに(たぶん)言った。それからG君に、
「このへんのヤツらは、エサやる余裕がないけど、雑居房には、ヒヨコを飼ってるヤツもいる。あいつらは、売店でパンの耳とか買えるし、厨房で手伝いしてる模範囚に、野菜クズを持ってきてもらったりするんだ」
「ヒヨコが育ったら…」
G君がオカマヒヨコをためつすがめつしながら言うと、F君は彼の聞きたいことを察して、
「うん、厨房で焼いてもらって食べていいことになってる」
「美味いのか、これ?」
アヲ~~~~~ン(いやん、食べられちゃう~~)
「モスクワコーチンだから、美味いよ。オカマじゃないやつを見つけたら、ロウドフに返さなきゃならないけど」
 親切でよく気の回る教育係F君のおかげで、監獄の内情について、一日で多くを知ることができた、とG君は思っていた。
「モスクワコーチンなのか…」
アア~~~ン、ヲヲ~~~ン(美味しいのよ~でも食べちゃいやん)
 「俺たちももうすぐ夕食だよ」と、F君は独房の覗き窓を開けながら言った。「ボルシチとシェパーズパイ作ってたよ。ニンジングラッセを煮る匂いもしてたな~。あとは何が出るかな~。デザートはティラミスかな、ロールケーキかな…」
 G君は、中にいる囚人のための食事が入ったスープ皿を持って、ちょっと匂いをかぎ、鼻に皺を寄せた。
「あ、301号君は、ダイエット中だね~」と、F君が言った。「薬膳スープ、残さず飲んでね。体にいいんだよ~^^」
G君がスープ皿を慎重に差し入れ口から差し入れた。相部屋の仲間のおやつ(角砂糖)を奪って独房に入れられた男は、涙とともに薬膳スープを飲んだ。

 夕食時、F君とG君は、ますます仲睦まじく、楽しそうに食べていた。他の同僚がG君に、体力テストはどうだったとか、囚人どもは言うこと聞きそうかとか、ありがちな質問をすると、なぜかF君が答えて、「そうだよね?」と言うようにG君の顔を見て、二人で一緒に頷くので、皆は面白がったり呆れたりしていた。
「熱愛発覚会見みたいだな」
「結婚式に招待される日も近いな」
「今朝までは、1ミリも予測できなかった状況だな」
「まあ、面白いっちゃ面白い…」
 二人が、それぞれデザートに取ったティラミスとイチゴロールケーキを、互いに少しずつ食べさせっこしている間に、ハリーは「お先に」と言って席を立った。彼も今日の仕事は終わったので、寮に帰るのだ。
 ハリーが、ピロシキだと思って割ってみたら甘いマロンクリームが入っていた(それも嫌いじゃない)時のような顔で、煙草を探していくつかのポケットを叩きながら歩き去って行くのを見送りながら、B君が言った。
「ハリーのやつ、G君があんなに懐くんだったら、自分が面倒見ればよかったと思ってんじゃね?」
「そうかなあ…」
A君は、本当にどっちだかわからなかった。ハリーが、なんか損したとか、機会を奪われたという気持ちにならなければいいが、と思っていた。

 F君とG君が寮のシャワー室に行くと、脱衣所で座って喋っている者や、ボードゲームをしている者が、いつもより若干多くいた。
「爺さんの夕涼みみたいだな」と、F君は思った。
 シャワーを使用中の者も、多いようだった。F君には、みんながG君の様子を少しでも見たくて、わざわざ時間を合わせて来ているのだということがわかっていた。G君は知らないことだが、食事も同時にテーブルに就いている者がやけに多かった。好奇心の強い黄色ウサギの仲間のことだから、そのことに問題はない。でも、シャワーが混んでいると、待たなければならないかもしれない。
 そう思っているところへ、ハリーが、肩にバスタオルを引っかけて出てきて、
「二人なら、空いてるぞ」と言った。
そこで、F君とG君は服を脱いで、湯気の立ちこめるシャワー室に入った。

 シャワーブースは、いちおう一人分ずつ板で仕切ってあり、カーテンもあったが、慎ましく他人から隠れて体を洗うためではなかった。カーテンは、バスタオルがあまり濡れないように外側に掛けておくために使われていた。それでも濡れるが、細かいことは気にしない。仕切りがあるのも、慎みのためだと思っている者は少なかった。隣の者と体がぶつかったり、他人のシャンプーを間違って使ったりして、ムダな争いが起きるのを防いでいる、と大多数は思っていた。殺伐としたきつい仕事のために、イライラ、カリカリしていることの多い黄色ウサギには、余計なお世話と思えるほど争いを避ける工夫や仕組みが必要なのだった。
 
 F君は、カーテンレールにタオルを引っかけているG君の、肩や腕の筋肉がたいへん美しいと思った。温かいシャワーを浴びながら、G君の尻尾の金茶色の毛を思い浮かべると(尻尾といえば、もちろん尻も一緒に心の目に浮かんでいたはずだが、わざわざ言う必要はない、ですよね?)、とても心地よく幸せな気持ちになったので、F君は(存在の半分が音楽なので)歌いだした。
「♪オンリー・ユーーーー…」(*3)
周囲のブースにいた同僚たちが、「ぷっっ!!」と噴き出した。F君がシャワー室で歌っていることはよくあることだが、
「このタイミングでその歌かよwwww」
と、笑わずにいられなかったのだ。

♪Only you can make all this world seem right
♪Only you can make the darkness bright
(君だけが、この世はいい所だと思わせてくれる
 君だけが、暗闇を明るくしてくれる)

「♪オンリー・ユー、アンド・ユー・アローン…」
「もうやだ、F君www」
「やめてよ、鼻にシャンプー入っちゃったwwww」
頭や顔を洗っていた同僚たちの中には、笑いながら咳き込んでいる者もいた。
 歌に関してはプロの技術と根性を持ったF君は、頭から石鹸の泡に包まれていても、オペラ座の舞台に立っているかのように朗々と歌い続けた。

「♪ラブ・フォー・オンリー・ユーーー」
脱衣所にいる者たちまで、壁やら床やらをバンバン叩きながら笑っていた。
「G君はどんな顔して聞いてんだよww」
「誰か見てこいよ。俺もう、おかしくて立てないwwwww」

「♪フォー・イッツ・トゥルー、」
ここで、聞こえる範囲にいた者全員が、次のフレーズを合唱した。
「「「「「「「「「「「♪ユー・アー・マイ・デスティニー!!!!」」」」」」」」」」
さすがにF君も、周りの反応に気づいて、
「うわー、すごいウケてる!嬉しい~」
と、シャワーで石鹸の泡を流しながら、さらに情感をこめて歌った。

 あ、「全員」と言ったが、一人だけ例外がいた。言うまでもなく、G君だった。彼はみんながなぜこんなにこの歌が好きなのか、わからなかった。彼はただ、「F君、歌上手いな~」と思って、いい気分で聞きながら、マッサージするように足の指を洗っていた。
ふと、脳裏に『十二夜』の冒頭の台詞が浮かんだのだが、昼間その芝居が話題になったからだろうと思って、特に気にかけなかった。

If music be the food of love, play on.(*4)

つづく。


(*1)W. Shakespeare, Sonnet 18
(*2)『十二夜』3幕1場オリヴィアの台詞。女伯爵オリヴィアは、道化フェステの雇い主である。
(*3)The Platters, "Only You" このエピソードと同じ1955年に発表された曲であるのは、偶然である。
(*4)『十二夜』1幕1場。G君流に訳せば、「音楽が恋のエサになるってマジwwじゃ、もっと歌えば?」といったところだろう。


2016-07-31 16:59  コメント(0) 

[246]To A Summer's Day ――君が来た夏 [ウサビッチ]

 F君は、G君を寮の部屋に連れて来る間、ずっと喋っていた。
「これから、制服に着替えて、研修だ。俺がマジックハンドの使い方と基本的な仕事を教えて、射撃のテストをするだけなんだけど。あと、体力テストもあるかもしれないけど、ロウドフの趣味みたいなものだから…ロウドフっていうのは、労働監督長。むっちゃ強くて、全職員の『体育』担当もしてる。そうだ、ドアの使い方も覚えなくちゃね…ドアは…ドアだよ、あとで実物使いながら説明するよ。制服は、作業服だから、トレーニングも汚れ仕事も、これ着てする。汚れたらどんどん洗濯に出して、シャワーもあっちこっちにあるし、お湯が出たり出なかったりするけど、あんまりはずれない場所と時間帯、教えるからw…」
 G君は、F君の話を聞きつつ、ちょくちょくよそ見をしながら歩いていた。殺伐とした建物群を珍しそうに見回したり、植え込みの前で立ち止まったり、新入りを見に来た猫にわざと近づいて警戒させたりしていた。面白くも楽しくもない環境にあって、彼は清潔でいい匂いのする庭園を歩いているかのように、リラックスして幸福そうだった。自分がリラックスして幸福そうだとF君が思っていることも、知っていた。一生懸命先輩の後を追う、緊張した新入りを演じる必要はない。F君の心を掌に載せて撫でながら、G君はただ「OK~♪」と思っていた。
 G君がしばしば遅れたり立ち止まったりするのは、荷物が重いせいではないとわかっていたが、F君は彼の手からスーツケースを取った。遠慮せずに手を離し、人懐こい笑みを浮かべるのを見て、胸だか頭だかわからないが、何かで貫かれた。「ここはけっこう快適だな。これからも、君が快適にしてくれるよね?」と言われている気がする。それはG君の意図ではなく、F君の気持ちだったのだが、「そう思っているんだね?」と言ったらG君は、「そうかも。そうでもいい」と答えただろう。

 寮の部屋は、質素な狭い空間としては、最大限に整頓され、磨かれていた。新しい住人が階級差別者で知的水準差別者だった場合(F君はほぼそうだと予想していた)、できることは何一つ手抜きしていないと言える――言えなくても少なくとも自分はそう思って誇れる――ようにという、F君の意地だった。彼は、部屋を徹底的に掃除した。ベッドの下、天井、照明器具、窓枠、クローゼットの中など、隅々まで。洗面台もピカピカに磨き、カーテンまで洗った。それから、デスクランプは備品だが使う者はほとんどいないので、同僚の部屋を回って、一番状態の良い物を持ってきて、それもできる限り磨いた。
「お利口なお坊っちゃんは、読書遊ばすだろうからな」
F君がデスクランプを検品して回っていると、同僚たちが言った。
 今、別の理由で、掃除してランプもいいやつを用意してよかったと、F君は思っていた。G君はスーツケースを開き(お手本のように中身がきちんと詰められているのを見て、F君はなぜかちょっと胸が熱くなった)、まず薄い写真立てを取り出した。それを、小さくて古いが埃ひとつない机の上、磨きこまれたデスクランプの横に、G君は置いた。
「君の家族…?」
「兄夫婦と子どもたち」
「そうか…」
写真の中の品の良い男性は、G君に似ていなかった。4人の子どもたちは、一番上が10歳ぐらいだった。
「この子は」と、F君は2番目に大きい男の子を指差して言った。「G君にちょっと似てるな」
「隔世遺伝だな。俺は母親似だから、こいつは祖母に似たことになる」
「なるほど…」
F君は、写真の可愛い男の子と、その子の叔父にあたる大柄な若者に似た女性を思い浮かべようとした。彼女はドイツとロシアのハーフ、白い肌と暗い色の目の、美しいひと…。想像していたら、なぜか心臓の鼓動が速くなり、何ドキドキしてるんだ自分と思ったら、気恥ずかしくて顔が熱くなり、赤くなっているのを見られると思うとよけい恥ずかしくなって…。
 だが、G君はそんなF君の様子を見ていなかった。彼はクローゼットの中の引き出しに、シャツや靴下やハンカチなどをしまっているところだった。そろそろF君がこっちを向くころだと思って顔を上げると、案の定、目が合ったので言った。
「すごくきれいにしてあるね。掃除してくれたの?」
「そ、そうだよ。ほら、しばらく使ってなかったから、いちおうね、…」
「紙も敷いておいてくれたんだ。サンキュー」
「あ、うん、それは、まあ、その、うん…」
F君が顔を冷やす間に、G君は引き出しと棚に納めるべきものを納め、スーツのジャケットを脱いでハンガーにかけた。
「着替えなくちゃ」
と言って、彼はベッドの上に置いてあった制服を手に取った。申請したサイズのものが、3セットほど支給されていた。すぐ着替え始めたので、F君はさりげなく目を逸らしていたが、「下着のパンツは穿かない派」だということは、しっかりチェックしていた。
 G君が制服を着る間に、F君が彼のスーツにブラシをかけてクローゼットに仕舞った。
「いいスーツだな」
と、心から言うと、G君はわりと嬉しそうに「うん」と言った。そういう時に照れたり謙遜したりしないところも、魅力的だと、F君は思った。
「兄貴が買ってくれた。仕事で着てたのがあるから新調する必要ないって言ったんだけど。欲しけりゃ自分で買うし。でも、『お前はケチだから、ちゃんとしたのを作らないだろう』って、仕立て屋に連れて行かれた」
「ケチなのか」
F君は思わずクスッと笑った。まさか、この先G君が、自分たち労働者仲間から、ケチだの強欲だのと言われるようになるとは、夢にも思わず。
「いらんことに使わないだけだ」
G君は、「ケチ」が悪口だとは思っていない様子で言った。
「兄貴とは年が離れてて、俺のことは貧乏な学生みたいなものだと思ってるんだ。何かと買ってくれようとする。俺はべつに、一緒に暮らして美味いもん食わしてもらっただけで、十分だったんだけど」
「いいお兄さんなんだね」
F君は、写真の中の小奇麗な家族を見ながら言った。彼にとって「上流」階級であるその一家に対して、反発も嫌悪もまったく感じていなかった。
 G君は、大きく表情を変えずに頷いたが、自慢の兄を褒められた弟の喜びがあふれ出していた。
「同じ家に住んでても、住む世界が違うような気がするけど、それでも俺のことわかってくれて、いつでも味方してくれるんだ」
 F君は、熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。初対面なのに、こんなに気を許して、大事な家族のことを話してくれるなんて…。こいつ、温室育ちで、人を疑うことを知らないんじゃないか?
「俺が守ってやらなくちゃ!」という気持ちが、この時芽生えたのだと思われる。それがG君が意図したことなのかどうかは、わからない。彼もまた、フロイドに会ったとたんに好きになったので、ただ嬉しくて、理屈抜きに信用してしまっていた、のかもしれない。
 「F君、兄弟は?」
「弟が一人と、腹違いの兄と姉がいる」
ちょっと複雑な家族の事情だが、ざっと説明するのは2、3分でできるから、歩きながら話そうと思って、ネクタイまできちんと結び終えたG君に、マジックハンドを手渡した。
「じゃ、まず、トレーニング室に行こう」

 F先輩の指導で、G君がマジックハンド操作を練習していると、予想通りロウドフが現れて、G君は体力テストと称して障害物走のようなことをさせられ、続いていきなり実戦のような格闘の稽古をつけられた。
「ふむ、力はまあまあだな」
と、ロウドフはG君の渾身の一撃を軽く受けながら言った。
「マジックハンドの鍛錬を怠るなよ。これさえ手放さなければ、囚人に負けることはないから」
そして、ちょっと押すと、G君は弾き飛ばされたように後ろへ退がり、どうにか体勢を立て直した。ロウドフは「どこからでもかかって来い」と言うように、仁王立ちでマジックハンドを構えていた。本人は「カモーン♪」と笑顔で誘っているつもりだったが、岩のようにごつごつした筋肉の塊の上に乗った鬼瓦が、歯をむき出しているという、世にも恐ろしい光景になっていた。
「えー、まだ終わりじゃないのかー」と、G君は思いながら、しかたなく再び攻撃の一歩を踏み出した。とたんに、脚にロウドフの鞭が絡みつき、派手に転ばされた。
「何?!鞭?いつのまにこんなものを!ズルイ!」
と、声には出さなかったが、ロウドフにはテレパシーで伝わったようだった。
「よく覚えておけ!」と、割れ鐘のような声が言う。「お前は試合に出るんじゃない。フェアプレー精神なんか、カエルに食わせておけ。ケンカに強くなれ。ルールは無用だ!」
それから、シュッと引いて鞭を回収すると、軽い調子で、
「まあ、油断大敵ってことだ」と言って、ニヤリとした。「さっきも言ったように、マジックハンドと、あとドア持ってりゃ、だいたい負けねえから。トレーニングちゃんとやってれば、大丈夫だ」
ドア…。F君も、なんかドアのことを言っていた。と思いながら、G君はのそのそ立ち上がった。これで、ロウドフ氏の指導は終わりだった。

 若者たちは、労働監督部門特製のスポーツドリンクをふるまわれた。
「フロイド、教育係としてどうだ?」
と訊かれて、F君はまたちょっと顔が赤くなるのを感じながら答えた。
「うん、素質もあるし、いいんじゃないかな…あ、まだ1時間もたってないけど、えっと、俺の感じでは、いいと思う、きっと、あの、…」
困ったように口ごもりながらもなんだか幸せそうなF君と、CMに採用したいぐらいスポーツドリンクを美味そうに飲むG君(本当に喉が渇いていたのだ)を、ロウドフは「なんかこういうのどっかで見たことある」と思っている鬼瓦の顔で見ていた。
 「名前は、ジェフリーだな?」と、ロウドフが言った。
「そうです」
「Gで始まるジェフリーか」
「俺、初めて会ったよ!」と、フロイドが言った。Jで始まるジェフリーなら、学校などで知っていたのだが。
「ジェフリー・チョーサーから取ったんじゃないのか?」
「そうです」
「チョーサー…?イギリスの人だっけ??」
「『カンタベリー物語』とかな。読んだことあるか?」
「父が読んでました。俺は、詩とかめんどくさいんで」
「めんどくさいか。ははは!何ならめんどくさくないんだ?」
「推理小説とか」
「ほう。私立探偵と刑事だと、どっちが好きだ?」
「どっちでも」
「そうか。俺は、子どものころ、刑事になりたかったんだ。警察に就職しようと思ってたんだが、いつのまにか刑務所に来ちまった。はっはっは…」
G君は、「それ笑うところ?」と思っているようで、ぽかんとしていた。F君は、苦笑していた。

 昼食時。食堂では、看守に新顔がいるということで、囚人たちがざわざわキョロキョロしていたが、年かさの看守たちが睨みをきかせていたので、規律が乱れることはなかった。
 それからカンシュコフの食事時間になった。カフェテリア形式で自分で好きなものを取り、いくつかの料理はカウンターの向こうにいる料理人に取ってもらう。そこに陣取っている料理人を見て、フロイドが、
「あ、おっちゃん」
と言って笑った。いつもは厨房からあまり出て来ない料理長がいたのだ。新入りを見に来たことは明らかだ。
 F君とG君が料理長の前に行くと、大柄で兎相の悪い男は言った。
「おい、お前、豚肉嫌いなのか?」
「え、いや、好きだけど…?」
G君が戸惑っていると、
「じゃあなんでポークパイ取らないんだ!出来たてで美味いんだぞ!」
と言って、おとなのハリネズミほどもあるパイを、どんと皿に載せてきた。すでにローストチキンをたっぷり取っていたG君は、呆気に取られた。
 「嫌いなものはあるか?」
と言う料理長の顔は、「ある」と言ったウサギをレードルで殴り殺してニワトリのエサにするつもりだとしか思えなかった。G君が、
「特にない」
と答えたのは、ここで生涯を終えるのがイヤだったからではなく、単に正直だったからだが。
 料理長は、F君とG君の皿に、付け合わせの野菜をこれでもかと盛り始めた。ニンジン、ジャガイモ、ブロッコリ、赤カブ、インゲン、いろいろな豆類、…。片方の皿がいっぱいになると、もう片方へ。
「こっちが注文したものを乗せるんじゃないのか?」
と、G君が小声でF君に言うと、
「おっちゃんの時は、いつもこうだよ」
と、F君は笑いながら言った。
「キャベツとソーセージのスープも持ってけよ!」
おっちゃんは、野菜のなだれが起きないように慎重にトレーを運ぶ若者たちに、追い打ちをかけた。
 すでにカンシュコフ御一行様が占拠している一角に二人が座ると、黄色ウサギたちは一人ずつ、G君に「よろしく」とか「東監獄へようこそ」とか挨拶した。それ以上長く喋る者もなく、新入りのスピーチを期待するでもない。興味はあるから、G君のことを、ちらちら、あるいはじろじろ見てはいるが、言葉はない。新人を迎える場面は、いつもだいたいそんな感じだ。
 いつもの雰囲気より、少々ぎくしゃくしている、ということを、いつものF君なら敏感に察知しただろう。今の彼は…。
 「いただきまーす。塩、これね」
と、他の人には尋ねもせず塩を取ってやる。
「テーブルに置いてあるコショウは、あんまりいいやつじゃないから、使わないほうがいいよ…」
G君がスープを飲んでいるので自分も飲む。G君が「ナイス!」という身振りをすると、「だろ?おっちゃんが勧めるものは美味いんだ…」
チキンを食べて、「よしよし、今日もチキンは美味い」と確認。G君も美味そうに食べているのを確認。
「おっちゃん、俺のほうばっかりジャガイモとブロッコリを鬼のように盛ったな。豆、ちょっともらっていい?」
G君が頷いて「好きなだけ取れよ」と言うので、大きなスプーンに2杯、豆をもらって、
「ブロッコリ、やろうか?」と言うと、G君が「スパシーバ」と言って、F君の皿からブロッコリを2、3個取った。
「ジャガイモもよかったら…」
小さな丸ごとのローストポテトをフォークに刺して差し出すと、それをG君がぱくっと食べた。
 いつのまにか、同僚たちは食べるのも忘れて、口をあんぐり開けて(というのはただの慣用句だが、本当に口を開けている者もいた)二人の様子を見ていた。彼らは、小声で、またはテレパシー的な何かで、コメントを交わしていた。
「どうなってんのあれ?」
「すっかり手懐けちゃった…?」
「F君、すげー!」
「いや、どっちが手懐けられたんだか…なんかデレデレだし」
「マジ!F君、坊っちゃんに惚れるの巻?!」
「あー、パイ切ってやってるし」
「えー、あんな優しい顔、俺には見せてくれない!」
「惚れたな」
「決まりだな」
「ま、いいじゃん。せっかく来た新人だ」
「F君がしっかり可愛がって、定着させてくれればめでてぇな!」

そんなわけで、遅れて来たハリー(仕事中に勢い余ってガラスを割ったことを、チーフに謝りに行って、管財課に修理を申請してきたのだ)は、どうせつまらないヤツだろうと思って興味をなくしていた新入りが、F君と初めてのデートみたいに甘甘な雰囲気になっているのを見て、
「まあ、あれだ、何が起きるかわからねえから、人生面白ぇんだよな」
と、言葉とは裏腹に、なんだか腑に落ちないという顔をしながら、特盛のランチをぱくついた。

つづく。


2016-07-30 18:40  コメント(0) 

[245]First Sight ――なれそめ [ウサビッチ]

 カンシュコフ・ハリー(23)は、煙草を片手に、世界制服をなしとげた皇帝ハリー一世のように意気軒昂、鼻高々、我が世の春といった勢いで、大声で喋り続けていた。
「俺を見た時が、一番いい笑顔になるんだぜ!こんなちっこいくせに、脚の力の強いことといったら、べらぼうめ!」
 ハリーの生後3カ月の息子の写真を見ながら聞いている同僚たちは、必ずしも嫌々聞いているわけでもなかった。赤ん坊が元気に育っていると聞くことは、誰にとっても幸せなことだし、その上TJは、誰の目にも奇跡のように可愛い子だったのだ。
「俺もカメラ買わなくちゃ。兄貴に撮ってもらうだけじゃなあ」
と、ハリーは言った。
 誕生祝いに同僚たちからカメラをプレゼントしようという話も出たのだが、どうせハリーはすぐ壊すだろうということで、没になった。彼らが実際に贈ったのは、ミネラルウォーター1グロス(144本)と、高級食料品店の缶詰・瓶詰を箱一杯だった。奥さんにはたいへん喜ばれて、ハリーも「持つべきものは友だちだな!」と、自分の手柄のように満足していた。
 カンシュコフFことフロイドは、脳内で奏でられている喜びの歌を、鼻歌に変換して現実界に流していた。彼はハリーより一年早くこの仕事に就いたので、その意味では先輩だったが、カンシュコフには年齢によっても勤続年数によっても上下関係を作る習慣がなかった。試験を受けて昇格することは可能だったが、そんな向上心を持った者はほとんどいなかった。学歴はほぼ全員が義務教育のみ、試験勉強なんて別世界の出来事だと思っている男たちだった。この僻地の監獄に職を得て、クビになることも一方的に異動を命じられることも(制度的には普通にあるが)実質ないことを知っている黄色ウサギたちは、ただ漠然と、定年まで無事に勤められればいいなあと思っていた。
 命令による異動はないが、職員の入れ替わりは頻繁だった。仕事は重労働だし、町に出て映画を見たり飲んだりすることもできたが、映画館は一つしかないし、サービス業は主に近くの陸軍基地のために存在していて、軍人でない者は客として大事にされなかった(というのもある程度事実だったが、監獄職員のひがみによって格差意識は増幅されていた)。看守として着任した者の半数は、しだいにイライラした様子になり、囚人を虐待し、同僚の中でも孤立して、やがて異動を願い出たり、転職したりした。カンシュコフの長は、彼らを引き留めようとはせず、寛大な推薦書を書いてやっていた。
 そうして、しだいに東監獄の水が合う者たちが残ってきた。この2、3年では、ハリーぐらいの若者が増えてきた。偶然だが、皆同い年なので、「同級生組」と呼ばれていた。ハリーと特に親しいA君やF君も、同級生組だった。

 ハリーは、治安も雰囲気も良くない町に、家族を連れて来るつもりはなかった。妻の姉夫婦の家の傍に家を買って、結婚したばかりの妻を置いて来た。監獄からは、車で2時間ぐらいで行ける距離なので、何も問題なかった(ロシアではそのくらいは「近所」だ)。彼は週に2回は家に帰り、掃除や洗濯、買い物をして、そのほか妻の望むことは何でもしてやった。彼女のお腹が大きくなってきてから、今に至るまで、ハリーは自宅にいる間はほとんど寝ていないと思われたが、無尽蔵の体力を誇る男なので、ここにも問題はなかった。
 ハリーは、うるさくて厚かましくて暑苦しい男だったが、働き者であることは誰もが認めており、家族思いであることは感動的ですらあった。1955年夏、ハリーとその美しい妻と可愛い息子が、これからもずっと幸せであらんことを、同僚たちは心から願っていた。

 ハリーの廊下まで響く大声を聞きながら、カンシュコフM君は見回りから戻って休憩室に入った。彼は、同級生組とはだいぶ年が離れた「おじさん組」の一人である。
「新しい写真か?見せてみろ」
M君はハリーの息子の写真を見て、がっしりした骨格の眉の濃い顔を綻ばせた。
「こりゃあ、いい男になるな」
と言うと、ハリーが、
「あたぼうよ!」
と鼻息荒く言った(煙草の煙のおかげで、鼻息は視覚化された)。
「ところで、」とM君は若者たちを見回して言った。「新人の採用が、決まったようだ」
そうなんだ、と一同は関心を示した。
「どんなヤツ?」
「それがな、チーフに聞いても教えてくれねえんだ。『まだ内々定ですから』とか言って」
「それって、決まったも同然なのになー?」
「俺たちの同僚なのに、なんで教えてくれないんだ?」
「もったいぶってんじゃね?」
ざわざわする若者たちだったが、まとめ役のA君が、
「まあ、来ればわかるんだから、いいじゃん」
と言うと、そうだな…、という雰囲気になった。
だが、M君が
「一つだけ聞き出せたんだけど、またお前らの同級生らしいぞ」
と言うと、若者たちはまたそわそわし始めた。
「えー、やっぱり早く知りたいな」
「F君、なんとかならないか?」
「うーん…」
このころのフロイドは、「聞き込みが上手い」という程度だったが、すでに情報強者として仲間たちには頼りにされていた。

 「同級生なら、この仕事は初めてだろう。俺が教育係だよな?」と、ハリーが言った。
「お前、忙しいだろ」
とA君が言ったのは、ハリーの現在の状況を慮ってのことだったが、「俺が俺が!」と思い始めると他の考え方ができないハリーには通じない。
「プライベートで忙しくても、仕事はきっちりやってるぜ!」
と、不服そうである。(強面だから、そんじょそこらのチンピラなら逃げ出しそうな形相だが、仲間は慣れている。)
「まあまあ、相性もあるし、会ってから決めてもいいんだから」
と、フロイドが言った。彼の意図を汲んだA君も、
「そうだな。ハリーがやる気なら、その時は頼むよ」と言った。
ハリーはそれで満足したようで、煙草を揉み消すと、
「さあて、お仕事の時間だ!」と言って立ち上がった。
それを機に、皆がそれぞれの仕事に向かった。ある者は作業監督に、ある者はデスクワークに…。

 ハリーは、身分証を入れたパスケースに子どもの写真をしまいながら、ダンスのようにその場でくるりと回った。幸運の女神の寵愛を受け続けている彼は、今度来る新人のことも、自分が一番望むようになるだろうと、信じていた。
「同級生か。年下のほうがいいが、同級生の半分以上は俺より後に生まれたヤツだ。常識のあるヤツなら、俺を先輩として慕って、いい相棒になってくれるに決まってる。べらぼうめ、俺はツキまくってるんだ。ついに、『弟』が手に入るんだぜ!」
 事情を知らない人には唐突に聞こえるが、ハリーにとって「弟」は、この世で一番欲しいものなのだった。自他共に認める「兄貴」キャラ(単に威張るのが好き、犬の飼い主のように慕われたい願望が強い)なのに、実際には末っ子で、「兄貴になりたい、弟が欲しい!」と思い続けた20年であった。そう思って手に入るものでもなく、友人や後輩を弟扱いしては(単に「兄ちゃんの言うこと聞けるだろ?ほーら、取ってこーい!」的な仕打ちをして)、嫌われてきたことを、ハリーは都合よく忘れていた。

 「これで勘弁して。コピー取れなかったんだ」
「全然いいよ、手書きでも」
フロイドは、人事部のY君から、履歴書の写しを受け取った。フロイドが「アクセス」できるのは、自分と同等の若い職員なので、その職員を通してアクセスできる情報には限りがあった。
「そうか、写真はないか…どんな顔だった?」
「え、あの、髪は濃い色で、七三で、目がギョロッと大きくて、ちょっと、怖い感じ…」
「七三…」
注意力に優れたフロイドには珍しく、七三に気を取られて、他のことはよく聞いていなかった。
「ねえ、ほんとに精一杯やったんだよ、だから…」
Y君は懇願するように言った。
「もちろん、君が部長室の窓に何をしたかなんて、絶対誰にも言わないよ」
フロイドは、利息を払いに来た債務者に応対する高利貸しの窓口係のように、惜しみない笑顔で言った。
 Y君と別れて、フロイドはひと気のない廊下の明るい窓辺で、写しを読んだ。彼の表情は、困惑と「呆れて物も言えない」の間を往復していた。
「何だこれ??Y君に一杯食わされるはずはないし…」

 後ほど、同級生組の大部分が休み時間で、フロイドが来るのを待ち構えていた。
「おお、来た、来た!」
「F君、わかったか?」
フロイドは、小さく頷いて、いくぶん困ったような顔で彼らの前に座った。首尾よく情報が取れた時は、いかにも嬉しそうにしているのに、これは変だ、と仲間たちは思った。
 自分に都合のいい空気以外はまったく読まないハリーは、
「おう、どうなんだ、早く言えよ!」
と、わくわくする気持ちを隠さずに言った。
「ひとことで言って」と、フロイドは狸につままれたウサギのような顔をして言った。(この場合、「つまむ」は「化かす」という意味だが、狐はウサギを化かす前に食べてしまう確率が高いので、「狐につままれた」という慣用句は使えない。と、黄色い狸が教えてくれた。)
「すげー変なヤツだ」
「変…って、何が?」
ハリーの煙草を持った手が止まった。やっと、空気を感じたらしい。
「まず、高卒だ」
「はあ?」
皆が一斉に反応した。ここにいる者は全員、中卒だ。
「前職が、市役所の戸籍係だ」
「はあー??」
意表をつくにも程がある。ハリーは、ものすごく胡散臭い営業マンを見るような表情になっていた。
「ホワイトカラーじゃん!」
「なんでカンシュコフに?」
「幹部候補じゃないよな?」
「うん、普通枠だ。俺たちと同じ…はず」
一同が、「私は寒い国から来たスパイです。どうぞよろしく!」と言って片手を差し出すウサギを見るような表情になっていた。
「本人も十分おかしいが」と、フロイドは続けた。「父親も兄も大学出で、同じ市の職員だ。父親は早く亡くなったが、生きていれば助役になっただろうと言われている」
「ここで言えば部長クラスのエリートだな」
「ブルジョワじゃん!」
胡散臭さに、嫌悪感が混じってきた。
フロイドはさらに、珍しく眉間に皺を寄せて言った。
「極めつけは…」
「まだあるのかー!」
「おい、嘘だろ?ドッキリだろ?」
「そんなのが同僚って、無理!」
フロイドは、「俺も同感だ」というように渋い顔で頷いて、話を続けた。
「母方の祖父がO______氏で、祖母はドイツ貴族の娘なんだ」

数秒の沈黙の後、若者たちは狂ったように爆笑した。
「フロイド、てめえーwwww」
「やっぱりドッキリかーwwww」
「どこから嘘だったんだ?すっかり…wwwwww」
しかし、フロイドは笑わなかった。
「ほんとなんだ。市役所に電話して、ローカル情報誌を発行すると言って聞き出したんだから」
「だって、O______って、あの大富豪の…」
「某多国籍企業の真の支配者で」
「西側の財団やインドのマハラジャに人脈を持っていて」
「小国が買えるぐらいの財産をスイス銀行に持ってるという…」
「その人は確かに実在するけど、俺たちの未来の同僚とどう関係するんだよ?」
「だから、孫なんだよ」
「「「「「いやいやいやいやwwwwwwww」」」」」
ここまで茫然としていたハリーが、この時生き返って意見を述べた。
「そんなブルジョワで、学歴もあって、ホワイトカラーの仕事してたヤツが、なんでこんな僻地にカンシュコフやりに来るんだ?それ、やべーだろ?なんか重大犯罪やって、権力で揉み消したけど地元にいられなくなったとか、急に頭おかしくなってパーになって仕事できなくなったとか、そういうことなんじゃね?」
「ハリー…」
「話聞いてたのか…」
「そこかよww」
「マジレスすると」と、フロイドが言った。「そういうことなら、外国の別荘の座敷牢に入れておけばいいんだから、ここに来る意味がわからん」
「「「「「たしかに…」」」」」
ハリー以外の一同は頷いた。ハリーは、聞くのも話すのも飽きたようで、煙草の煙で鎖のように「輪つなぎ」を作って、
「これがほんとのチェーンスモーカー♪TJが大きくなったら見せてやろう」と思っていた。ちなみに、今は家では禁煙である。(庭や道路では吸っている。)
 A君が、F君に小声で言った。
「教育係は、お前がやってくれる?」
「いいよ」と、フロイドは言った。彼は、だいたいどんな相手とも調子を合わせてうまくやっていける。それでも、A君が心配する程度に、未来の同僚はやばかった。
「どうしてもダメだったら、俺が代わるし」
「いやあ…その時は、チーフになんとかしてもらおう」
二人は、ちらっとハリーのほうを見た。「弟」を持つ夢は、すっかり忘れているようだ。思い出さないでいてくれるようにと、二人は密かに思った。

 数日のうちに、カンシュコフ集団はチーフから正式に新人が着任することを知らされた。
「何か質問はありますか?」
と言われても、フロイドが調べたこと以上の情報は出ないと思われたので、誰も質問はしなかった。同い年の仲間が増えると聞いても、「インスタントコーヒー(ブラック)飲み放題」と聞いた程度にしか嬉しそうにしない部下たちの様子を、チーフは特に気にかけてはいないようだった。
 チーフと二人だけの時に、フロイドは言った。
「ハリーは今アレだから、俺が教育係やるよ」
「そうですか。よろしくお願いします。…何か、気になることでもあるのですか?」
「べつに。…採用の決め手は何だったの?」
面接をしていないことは知っている。
「履歴書の書き方が、立派でした。前職を考えたら当然ですが。カンシュコフは、書き物が苦手な子が多いから、そういう能力は役に立つと思いませんか?まあ、それが決め手というわけではありませんが」
それを決め手にしなくてよかった、たいしてその点では役に立たなかったから、ということを、さすがのチーフもまだ予測できていなかった。
 フロイドの胡散臭さ探知機の針が振り切れそうになっていることにはまったく関心を払わず、チーフは淡々と言った。
「他の応募者と比べて、健康状態や兵役時の記録が優れていることは、重視しました。前職の上司の推薦書も、もちろんたいへん素晴らしいものでしたが」
「額に入れて飾っておきたいほど?」
フロイドは自制しきれずに皮肉を言った。チーフはわずかに眉を吊り上げて、
「何が言いたいのですか?」
「べつに。うん、健康で、ちゃんと話ができるヤツなら、なんとかなるよ」
「そうでしょうね」
チーフは、若い部下に、心からの信頼を寄せていると見える笑顔を向けた。(実際、心から信頼していたのだろう。それ以外の可能性は考えられない。)

 さらに数日後。新しいカンシュコフは、所長から直々に辞令を受け取っていた。普通は部長に渡されるものなので、
「やっぱ、俺たちとは枠が違うんじゃね?」
「エリートなんじゃね?」
と、仲間たちがざわざわすると、フロイドは、
「彼の父親と所長が、知り合いなんだ。同じ中隊にいたことがある」と説明した。
そのことと採用は関係ないはずだったが、カンシュコフ集団が抱くイメージを良くする要素にもならなかった。
 廊下でフロイドが待っていると、ドアが開いて、新入りが姿を現した。フロイドは、3秒で相手をスキャンして、できるだけ情報を取ろうとするかのように、文字通り穴があくほど強い眼差しで、目の前の新しい同僚を凝視した。
 髪型は、七三ではなかった。クルーカットが伸びてきたような普通の短髪で、濃い茶色に金茶など明るい色の毛が少し混じっていて、全体的にダークな色なので、肌の青白さが際立っていた。暗い色の大きな目が、フロイドの青い目を鷹揚に見返していた。身長はフロイドと同じぐらい、引き締まった逞しい体つきに、スーツがよく似合っていた。非常に仕立ての良いスーツだということは、一目でわかり、フロイドの中で何かがズキンと鳴った。
 「俺はカンシュコフF、フロイドだ」と、右手を差し出しながら、「君の教育係になるんで、よろしく、カンシュコフG君」
G君は、「カンシュコフ」と呼ばれることが新鮮で、面白いと思っていた。彼によるフロイドの「スキャン」は、1秒で終わった。結果は彼の脳内スクリーンに、大きな字で一言「OK」と出ていた。
 「よろしく、F君」
握手しながらG君は、F君がまったく想定していなかったもの――完全に警戒を解いた愛想の良い笑顔――を見せた。いきなり子犬のように懐に飛び込まれて、フロイドは呆気に取られてふわふわと握手した手を振るだけだった。
「何こいつ、なんでこんな嬉しそうな顔するわけ?ちょっと顔がぽっと赤くなったりして…[自分は真っ赤になっていることに気づかず]色白でスーツが似合って、俺のことなんか見下してるはずなのに、笑うとちょっと子どもっぽい、はあー、睫毛長いなあ…耳の先が金茶色、尻尾はどんな色なんだろう…え?何、首かしげて…?あーっ、俺、バカみたいに手振りすぎ!えーと、まず、寮に案内するんだよな、ああ…、もう、可愛い!!><///]

はい、F君の負け。
おわり。じゃなくて、これが始まりだった。


2016-07-29 17:33  コメント(0) 

[244]湖の子ども [ウサビッチ]

ジャックの少年時代の話です。いつものジャックと本当に同一人物なのかということは、読んだ人が受けた印象で決めてくださっていいのですが。


 夏のある日。ジャックはおやつのリンゴをかじりながら、畑の間の道を小走りに進んでいた。(家を出る時に台所にあったクッキーを口いっぱい頬ばってきたのは、とっくに飲み込んでいた。)
 夏休み、ジャックは村の他の子どもたち同様、当たり前に農作業を手伝っていた。10歳の少年は立派な労働力だった。彼は力持ちで、骨身を惜しまず、役に立つ子だった。何かに気を取られて作業がお留守になり、父や兄たちに怒られながら働くことを、少しもイヤだと思わなかった。体を動かすことが好きで、家族が大好きだったので、みんなと一緒にいられて幸せだったのだ。
 ジャックの労働力は当てにされていたが、父は子どもを長時間働かせることをよしとしなかった。畑や納屋での作業、養鶏場や牧場へのおつかいは、午前中に済ませた。それでも、5、6時間は働いた。
 午後は、おばあちゃんの手伝いや、長兄の子である甥っ子たちの子守をして過ごした。そして、子守を妹のベルナデットに任せて、ジャックは遊びに出かけたのだった。
 歩いたり走ったりして40分ほどで、森に囲まれた湖に着いた。自元の人は湖と呼んでいたが、そんなに大きなものではなかった。濃い緑色の水は、数メートルの深さを泳ぐ魚がよく見える程度の透明度だった。戦時中は、ここの魚が地域住民のタンパク源にもなっていたが、もともと魚好きは少なかったので、食糧事情が改善してきた今、桟橋とボートを管理しているパスカル氏が網や罠で捕らえるだけで、十分需要は満たされた。
 ジャックは、桟橋から手こぎボートに乗り込み、もやいを解いた。パスカル氏が「免許」を与えた子どもは、好きな時にボートで遊ぶことができた。村の老人や、戦争で負傷した元兵士が、釣り糸を垂れて家族で消費する魚を捕っていることもあったが、今日はボートを浮かべているのはジャック一人だった。
 ジャックは巧みにオールを操り、アメンボのようにボートを走らせた。彼は同じ年の子どもの中でも小柄で痩せていたが、力は強く、バランス感覚も優れていたので、一人でボートに乗ってよいという免許を、今年取得した(それまでは大きい子と一緒という条件付き免許だった)。彼はボートを、自分の体の延長のように、楽々と動かした。彼自身の感覚では、レトリバーの子犬が成犬になるように、自分の体が大きくなって、ゆったりと長い航跡を引きながら泳いでいるかのようだった。
 湖の中央を少し越えて、一番深いと言われているあたりで、ジャックは漕ぐのをやめた。水を手で掬って、首や腕にかけた。井戸水ほど冷たくはないが、ひんやりして気持ちが良かった。
 のんびりと、湖畔の小暗い森の梢あたりを眺めている時、急に奇妙な気配を感じて、ジャックは緊張した。それは、何かが素早く接近してくる気配だった。真下から。

 そんな気配を発するほど大きな魚がいるとは、聞いたことがない。珍しいものが見られるのか?ジャックは怖いよりも、期待でわくわくした。
 ちゃぱん、と小さな音を立てて、それはボートから1・5メートルほどの水面に浮上した。あまりにも予想外のものを見て、ジャックは「あっ!」と声を上げた。それは、子ども――小さな女の子だった。
 ジャックは思わず、その子のほうへ手を差し出した。女の子が一人、湖の真ん中で…。その先を言葉で考えることができなかった。
 女の子は、彼の手につかまろうとはしなかった。彼女は困っても怯えてもおらず、もちろん溺れていたのでもなかった。長い髪――ジャックと同じような明るい金髪――が、水草のように水中でゆらゆらしていた。彼女の目は、少し紫がかった明るい青だった。その目で、無表情にジャックを見つめていた。「アルフレッドおじさんが見せてくれた宝石の色だ」と、ジャックは思った。アイオライトという名を、ジャックは忘れていたが、その色はよく覚えていた。
 女の子は、立ち泳ぎしているはずだったが、その浮かび方はどことなく変だった。数秒間、ジャックの顔を見つめて、彼女はついとボートに近づき、船べりに手をかけて覗き込んだ。
 彼女を引っぱり上げてやろうと思って出した手を、はっとしてジャックは止めた。女の子は、ボートの中を見回し、ジャックを上から下までじろじろ見ていた。彼女の首には、きれいな小石や貝殻をつないだネックレスがかかり、手首にも同じようなもので作ったブレスレットがあった。彼女がそのほかには、水着も何も身に着けていないことに、ジャックはその時気づいた。
 「お前、だれなんだ?」
適切な質問を思いつけず、あとどう言ったらいいかわからなくて、ジャックは女の子の顔を穴があくほど見つめるしかなかった。
 女の子は、ジャックの疑問を理解したのか、体を横に倒して、腰から下を浮かべて見せた。彼女のへその下には、脚ではなく、魚の後ろ半分があった。
 「人魚!!!!」
ジャックは息が止まるほど驚いた。

 「人魚なんだ!ほんとにいるんだ…!」
 人魚の目撃談は、数年に一度聞かれるので、どうやらいるらしいと、住民たちは思っていたが、目撃するのはだいたい酔っ払いか、ボートの上で眠りこけていた釣り人なので、夢か見間違いである可能性も否定できなかった。アルフレッドおじさんも、若いときに人魚を見た、と言った。少々年増の女の人魚が、きれいな声で歌って彼を誘っていたというのだった。家族の者も、頭から疑いもしなかったが、丸ごと信じた者もいなかった。
 「お前、ひとり?だれかと一緒じゃないの?」
ジャックの質問には答えず、女の子は彼の手にちょっと触れた。
「え?何?」
どうしたいの?どうしてほしいの?と、ジャックが思う間に、彼女はさっと向こうを向いて泳ぎだしていた。
 3秒後には、ジャックは靴を脱いで湖に飛び込み、人魚の後を追っていた。
 人魚は、ぐるっと円く泳いで、ジャックの傍に来た。イルカのように素早く力強い泳ぎだった。
「すげー、さすが人魚!」
 女の子はジャックの手を引いて潜った。彼女と手をつないでいると、ジャックもイルカのように泳ぐことができた。
「うわー、楽しい!」
並んで泳ぐ人魚のほうを見ると、彼女もこっちを見ていた。彼女も楽しそうに笑っていた。笑うと可愛いんだなあ…。
「こんな楽しいこと、はじめてだよ!」
水中では喋れないはずだが、ジャックは自分がそう言ったと思った。人魚が笑うと、虹色の光が飛び散るように思われたが、それは彼女の銀色の鱗が、光を受けると七色に輝くからだった。
 水中を飛ぶように泳ぎ、人魚の笑い声が聞こえた…。

 「ゲボッ、ガボッ、ゲホゴホッ…」
気がつくと、ジャックはパスカルおじさんのボートの上で、水を吐き出していた。
「もう大丈夫だ。…お前、どうしたんだ?落ちたのか?」
おじさんは、ジャックが泳ぎは得意だということも、服を着たまま泳いだりしないということも知っていたので、異常なことが起きたのではないかと心配していた。
「落ちたわけじゃなくて…あの子は?」
とジャックが言うと、おじさんの顔色がさっと変わった。
「ほかにも子どもがいたのか?お前だけじゃなかったのか?!誰だ?」
「俺はひとりで来たんだよ」とジャックは言って、また「ゴホッ」と咳をした。そして、おじさんに背中を擦られながら、
「人魚だよ。人魚の子と、いっしょに泳いでたんだ」
「人魚だと?」
おじさんは、思わず周りを見回した。穏やかなさざ波の立つ湖面の、少し離れたところで、小魚が跳ねた。

 ジャックが乗ってきたボートを曳きながら、パスカルおじさんは岸へ向かってボートを漕いだ。
「子どもの人魚か…。やっぱり、この湖は湖底トンネルで余所とつながってるんだろうな」
おじさんは独りごとのように言った。湖底トンネルの話は、調査されたこともないので本当かどうかはわからなかった。バイカル湖とつながっているという説もあって、いくらなんでも遠いと言われていたが、可能性はゼロではないと信じる者もいた。子どもの人魚がいるということは、家族親類一同がいる可能性が高いというわけで、こんな小さな湖にみんなで住んでいることは考えにくかった。広域にわたって暮らしていて、時々ここに姿を現すのだろうと、パスカルおじさんをはじめ何人かの住民が考えていたことが、ある程度裏付けられたことになる。
 「どんな子だった?何歳ぐらい?」
「俺より1つか2つ小さい、うん、3年生ぐらいだろうな」
「どんな顔してた?」
「ふつうの女の子だよ。俺みたいな髪の色で、目は青くて、笑うと可愛かった」
「笑ったのか、人魚が?」
「うん。いっしょに泳いで楽しかったから…ちょっとしか遊べなくて、がっかりしただろうな」
「人間が水に潜ったまま生きられないことぐらい、知ってるだろう。お前がいっしょに泳いでやって、嬉しかっただろうよ」
「うん…」

 おじさんの家で乾いた服を貸してもらい、ジャックはトラックで家に送ってもらった。おじさんの奥さんが、「あんたのとこは人数多いから」と言って、生きた魚をバケツに一杯持たせてくれた。
 家に着くと、畑から帰ってきたお父さんがびっくりして、
「お前、何したんだ?!」と言った。
「怒らないでやってくれ」と、パスカルおじさんが言った。「人魚に会ったんだそうだ」
「人魚…」
おじさんは、10分ぐらいお父さんと話していった。その間に、お母さんとおばあちゃんが、野菜をたくさん、おじさんのトラックに載せた。
「子どもの人魚だから、悪気はなかっただろう。遊びたかったんだ」
と、おじさんが言った。
「そうだろうな」
と、お父さんは言った。ジャックには、本当に悪いものは近づかないと、いつのころからかお父さんは信じるようになっていた。迷信みたいだから、口に出すことはなかったが。

おわり。


2016-06-29 23:23  コメント(0) 

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